不機嫌な王子様

9.特務隊長の帰還

さて、あかねが苦しみを乗り越えた頃、王子は何をしていたのかと言いますと、普段の公務は変わらずこなしながらも、常にどこかしら冷たい雰囲気を漂わせておいででしたので、関わる貴族、騎士団員、身の回りの世話役に至るまで、王子のご機嫌を損ねたのは何なのかと皆それぞれに囁き合いました。

しかし、当の本人は至って普通に接しているつもりであり、急に冷血さが見られるようになったなどと噂されているとは思いも寄らないことなのでした。

また、王子が以前は毎日顔を出していたお妃候補方の昼の会食に再開後は全く行こうとしないことも、話題に上りました。
『王子様はどなたか別に本命を見つけたのではないか』
そう囁かれる一方で、やはり舞踏会での王子の行動は貴族たちにとっては目を疑うほどのものがあり、油断ならないと、お妃候補方、特にあかねに対する王子の行動は依然注目されているのでした。


そんな中、王子にとって本当に久しぶりとなる事が起こりました。

「おい! 特務隊長殿が来られているぞ!」
「今回も激務だったのであろう・・・半年ぶり、か?」
「ああ。王子様もお喜びになる。これで最近の厳しい稽古が和らぐといいが・・・」
「何言ってるんだ。特務隊長殿がいらっしゃる方が、もっと稽古が厳しいだろう」
「いや、ここ1ヶ月の剣を振るう王子は何か鬼気迫るものがあり、正直手合わせするのが恐ろしいほどだったからな。それが少しでも緩和されてくれれば言うことなしだ」
「そうだな」

訓練所にて姿を見掛けた騎士団員たちがこぞって駆け寄るその人物は、屈託のない笑顔で皆に笑い返していました。とても厳しい隊長だとは思えない無邪気な黒の瞳、耳下で切り揃えられた黒髪には彼のトレードマークである黄色いバンダナが巻かれ、水色を基調とした騎士団の服装にも特務隊長の証である黄色のラインが入っています。

そこへ、話を聞きつけた王子がやって来ました。
「良牙!」
「お久しゅうございます、王子」
跪き、頭を垂れた良牙に王子はすぐさま手を一振りしました。
「ああ、堅苦しい挨拶はいい。今戻ったのか?」
「はい。先ほど国王様へのご報告を終えたばかりです」
「そうか。ご苦労だった。また後でゆっくり話を聞かせてくれ」
「はい」
次の公務まで時間がなかったのか、王子は一言だけ声を掛けると足早に立ち去られましたが、その顔には笑みが零れていたのを確認し、回りの者は皆、安堵の溜息を漏らしました。


その夜、例の“目立たない酒場”には早くから特務隊長の姿がありました。
そこへ若い騎士が一人・・・騎士服に白のライン、これは見習い騎士の証です。
急ぎやって来たこの青年に、隊長は一番奥からここだと手を振りました。
「よう、遅かったな」
「悪い。予定より少し長引いたんだ。あいつら無駄に話が長いからな」
「ああ、相変わらずだな。・・・さ、どうぞこちらへ」
隊長が引いた椅子に青年はするりと腰掛けました。まるでいつもそうして座っているかのような、自然で優雅な身のこなしで。

「フッ・・・あまりに久しぶりで少々驚きましたよ。とっくにどこかで野垂れ死んだのかと」
直後、音も立てずに近付いてきた店員に驚きもせず隊長は答えます。
「うるせーな。簡単に死んでたまるかよ」
いがみ合う二人の様子に、青年が口を挟みます。
「まあ、半年は記録更新だな。お前の方向音痴にも更に磨きがかかったんじゃないか?」
そう言う間に、店員は青年の前にグラスを置くと一礼し、去って行きました。
どうやら、これは『いつもの』飲み物のようです。青年が来たと同時に出されましたから。

それを一口飲んでから、彼はゆっくりと話し出しました。
「・・・で? お前は半年間も一体どこにいたんだ」
「はは・・・どの国から報告を聞きたい?」
「・・・また国外か・・・」
「ま、まあな。けどお前もその情報を期待してるだろ? しかも今回は半年で3国ともだぞ! 逆にすごくないか?」
「自慢するなよ・・・その分騎士団を放っていることを忘れるな。お前がすぐに迷子になって訓練所に姿を現さなくなるから『特務隊長』という地位を与え、皆には極秘任務の形で国内外を問わず情報収集を行ってもらっているが、本来なら第1隊長なんだからな。大体、王宮内の騎士の館に住む身だってのにどうやったら気付かぬ間に王宮から出て行けるんだ・・・」
「申し訳ない・・・ってお前、機嫌悪いのか? いつもより小言が多い・・・」
「うるさい。黙って聞け」
「はいはい」
首をすくめた隊長に、青年は言葉を続けます。
「とにかく、今のお前には『毎日の任務』等を全く託していない。しかし周りはそれを知らないのだから、無事に訓練所に辿り着いた時のみ稽古をつけたり指揮をとったりしてもらっていて、急にいなくなる度に皆に言い訳するこっちの身にもなってみろ」
「はい・・・。やっぱ相当機嫌わりぃなこりゃ」
「何か言ったか?」
「いえ、何でも・・・」
「では、お前の報告を聞こう。まずクノウ王国から」
「ああ! わかった。お前、例の『お妃候補』に苦労してんだろ」
「!?」
突然焦り顔でむせた青年に対して、隊長はにやりと笑うと
「当たりか。どう苦労してんだ? モテすぎて一人に決められないとか? 3国の姫君たちはそれぞれ一癖も二癖もありそうだからな、どれもひどくて困ってるとか」
「そ、そんなんじゃ・・・」
否定する青年を前に、隊長はもっと面白そうに頬を緩ませます。
「いやー、最初他国でお前のお妃候補の話を聞いたときは驚いたよ。お前もそんな歳か、なんて同じ年ながら思ったもんさ。だがお前があっさり結婚するとも思えんし、どうなってるのか気にはなってたんだよな。で? 好みの姫はいたのか? どうなんだよ」
「別に・・・」
「はっきりしないとこが余計に怪しいんだよなあ。ま、いいや。一国ずつ報告しながらお前の顔色を窺うとしよう」
「・・・勝手にしろ」
プイ、とそっぽを向いた青年を見てもう一度笑ってから真面目な表情になると、隊長は声を低くして報告を始めました。

「まず、クノウ王国からだな? あそこはな、相変わらず変わり者の国王に自己中な王子が君臨してたぞ。まあ、逃亡することが多い国王だって専らの噂だからな、君主として国を統治してんのは王子なんだろ。あまりにも独裁政治がひどくなったら、何か手を打った方がいいかもしれん。特に、ここの王女と結婚した場合、この国に被害が及ばんとも限らんからな。むしろこの国の実権まで握りたいと思ってても不思議じゃないような奴さ。王女・・・黒薔薇姫はどんな女性なんだ?」
「・・・噂通りだったな。良く言えば華やか、悪く言えば高慢な女性だ」

「ふうん・・・次は、クオンジ国でいいか? ここはな、活気が溢れてたぞ。商人がたくさんいる国ってのは経済が活発でいいな。人柄も気前のいい人物が多い。たくさん飯を食わせてもらった」
「何だそれは・・・」
「俺にとっては死活問題だぞ。クノウ王国にいた時は皆が納税に必死で節約家ばかりだったから、かなり苦労したんだ」
「そうか。それは大変だったな」
単調な言い方の青年に、隊長は思わず反論します。
「お前、全っ然心がこもってないぞ。・・・ここの王女はなかなか性格の良さそうな話を聞いた。率先して国民の暮らしを豊かにしようと頑張っているらしい」
「ああ、そんな感じだな・・・」

「んで、次は女傑国だな。ここは絶対女王君主制だからか、国民も女がやたら強い。とにかく強い。正直、驚いた・・・。王女もこれに違わずいろんな意味で『強い』女性らしいぞ。そうそう、従兄弟である王子・・・男であるが故に継承権的なものは一切ないが、そいつがかなり姫とお前の結婚を反対しているらしいぞ。お前、この姫を選んだら一騒動起きるかもな」
「・・・ああ、そう・・・」
「ま、しばらくは王女たちがこの国にいるわけだし、あちらさんたちがどうこう出来るような状態ではないだろうからな。平和条約もあるし、お前が心配しているようなことにはならんだろ」
「そうか。ありがとう、良牙」

「いいえ。ところで・・・話はまだ終わってないぞ。肝心のこの国・・・『あかね』というお妃候補はどうなんだよ」
「・・・! どうって・・・」
「俺、いろんな噂を耳にしたんだよな〜。まず『あかね』は騎士団長早雲殿の末娘、『あかね』は『青い花の舞踏会』での優勝者、『あかね』は王子の・・・」
「呼び捨てにするな! ・・・仮にもお妃候補だ」
「あっ、そう。悪い悪い。あかね様、だよな」
青年の表情の変化を逐一読み取りながら、隊長は楽しそうに話を続けます。

「その『あかね様』が王子様の本命であらせられると。貴族の一人から聞いた話だと、何でも舞踏会で倒れた『あかね様』を、血相を変えて医務室までお運びになったとか・・・?」
「・・・さあな、知らん」
「あっ、そう。じゃあ、この話もお前には必要ないか〜?」
「・・・何の話だ」
「さあ。お前には関係のない話なんだろ?」
「いいから話せ」

突然の有無を言わせぬ雰囲気に、隊長は意外だという表情を隠せません。
「おお、目が真剣だ。怖い怖い」
「・・・・・・」
「わかりました。話します。『あかね様』は最近まで病後の経過が悪かったのか塞ぎ込んでおられたが、最近持ち前の明るさを取り戻したそうだぞ。勉学にも作法にも励まれているらしく、これなら全員が今後の『課題』もクリアするだろうとのことだ」

青年の表情が和らぐことを想像しながら言った隊長は、彼が表情を強張らせたままなのに驚きつつ、返答を待ちました。
「そう・・・なのか」
何とも腑抜けた返事。隊長は、その様子に多少呆気にとられましたが、何か思い付いたのか青年の肩を叩き、
「まあそう落ち込むな。今は上手く話せなくても、それはお前が慣れてないせいでお前自身は悪くない。自信を持ってドーンとぶつかれ!」
と一方的な励ましをするのでした。

「さて! 俺は帰るぞ。ちょっとやることが出来たからな」
そう言って立ち上がった隊長に、青年は呆れた目を向けました。
「待て。一緒に帰らないと辿り着かないぞ。自分の体質が分かっていながら何故一人で帰ろうと思えるんだ・・・。そういえば、何でお前はここだと“待ち合わせ”が可能なんだ?」
「・・・さあ・・・王宮からここだと何故か、辿り着けちまうんだよな。ま、それはいいとして。ではお供させて頂きます、王子」
「俺がお供をしている気分だ・・・」

青年・・・そう、身分を隠し、見習い騎士の服を着た乱馬王子は、こうして幼い頃からの“親友”良牙と、王宮では出来ない話を心置きなくすることがしばしばありました。

良牙が“その体質から”特務隊長に任命されたことを知るのは、国王・騎士団長を含めごくわずか。『特務隊長』がどんな任務に就いているのかは、他の分隊隊長や騎士団員たちには特務という性質上一切知らせていないため、良牙はことのほか動きやすく、ある時は一般市民を装い、またある時は特務隊長としての権力を行使して要領良く辿り着いた土地土地で情報を得ていました。

もちろん、王子の元へ届く有力な情報は彼からだけではありませんが、友である良牙が直接見聞きしたことを知らせてくれるので、王子もそれを不定期ながらとても頼りにしています。

しかし、今回良牙が仕入れた情報の中には、1つだけ王子が予想もしていなかったものがあり、それこそが今彼の心の大部分を占めている麗しい女性についてのことでした。

彼女を傷つけたという罪悪感、自分で仕向けたのに彼女の悲しむ顔は見たくないという我が儘から、あれ以来あかねと顔を合わせていない彼には、彼女の気持ちの変化はもちろん全く読み取れません。もしかしたら自分にとって都合の良い方向に向かっているのかもしれないと少なからず期待する心と、そんな自分を軽蔑する思いに挟まれ、王子はずっと上の空で王宮まで戻りました。自室に戻ってからも長い間考え込む王子の元には、やはり今夜も安眠は訪れないのでした。

   “甘い毒を飲み干したように
    不自由な自由で どうしようもなくなっている”

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特務隊長の独壇場。ひたすら会話しかなくて申し訳ないです。
良牙の性格は、原作よりかなり軽め。乱馬王子が真面目だから。
二人して頭が固いと一向に話が進まない。
勝手に動いてくれて非常に動かしやすい隊長殿、是非すぐには迷子にならずにいてほしい。