不機嫌な王子様

8.三国の姫君たち

王宮専属医師・東風から突然の出張を告げられた日の夜、あかねは自室にて今後の予定を聞かされました。ゆかは、最初の予定をカフェテラスで伝えたあの日と同じように、ゆっくりと丁寧に読み上げてくれましたが、あかねはあの時と違い全く頭に入りませんでした。

『あの時も、すごく辛かったはずなのにな・・・』
そう思うと、あかねは俯いた顔をさらに下に向けました。
ゆかとさゆりはあかねのあまりの憔悴ぶりに、声をどう掛けたらよいのか戸惑い、二人の気遣いは本人にも十分伝わっているため、あかねは尚更いづらく、部屋には終始気まずい雰囲気が流れていました。

ぼんやりと聞いた一日の流れはこうです。
『9時から12時までの勉強の時間は、今までの進み具合があるのでそのまま一人ひとりの時間とする。12時からの昼食は、カッとなった者だけがお供の者たちと共に速やかにその場を離れその日は自室へ戻るという条件付で行う。14時から16時までは、サオトメ王家の礼儀作法について学ぶ。16時からは自由時間だが、時々昼過ぎから城下の視察等に出掛けた場合、16時から18時までの時間まで使うこともある』

あかねはすぐにでも試験をされるのかと思っていたので、この流れは少し意外でした。
でももう試験をするのなら早くしてもらって、この曖昧な生活にピリオドを打ちたい、そう思う気持ちがあかねを支配していました。


翌日から予定通り四人での昼食、礼儀作法の勉強が始まりましたが、あかねは一日中笑顔を見せることもなく、口も開かず、只々その場にいて時間が過ぎるのを待つのみでした。

昼食は、まさに冷戦でした。感情的に大きな声で発言したりすればすぐさまここから去らねばならないのですから、当然姫君たちもそれは避けます。しかしもちろん和やかに過ごせるわけもなく、目に見えない火花が感じ取れるほどの睨み合いと嫌味の応酬が日に日にひどくなるばかりでした。あかねは、この様子を最早呆れた目でしか見られませんでした。

礼儀作法の勉強は、1ヶ月の間に出来るだけのことを教わっていたので、すでに習ったものもありました。しかし、三人の姫君たちもあかねが社交界デビューを果たすまでの1ヶ月間、ただこの国にいただけではないようで、午前中の勉強も、午後の礼儀作法についてもある程度習得しているようでした。それでも、作法心得というものは幅が広く、日頃の立ち居振る舞いから挨拶の仕方、食事の仕方、服装への気遣い、公式行事での各対応、果ては時間のつかみ方まであり、少しかじったぐらいでとても全て身につけられるものではありませんでした。あかねにとっては、覚えようとしないので果てしなく続くもののようにも感じられました。


そうしている間に、東風が旅立ったという知らせをゆかとさゆりから受けることになったあかねは、重い腰をますます重くして、毎日の生活を始め、そして終えていました。

そして更に数日が経ったある日。
いつものように、耳に入らない礼儀作法の勉強をしていた時のことです。
「・・・もういい加減にしてほしいね!!!」
この日は食事の仕方についてのおさらいで、席に着いていた珊珠が突然立ち上がり、こう叫びました。
「この女の隣にいると、腐ってしまう」
隣にいたあかねは思わず顔を上げました。珊珠はあかねを一瞬見た後、視線を周りへ戻してさらに続けます。
「あかねには、覇気がない。生気もない。まるで人形ね。いや、人形の方がそこにいるだけな分マシな方か。どうしようもなく大きい負の気に、私まで暗い気持ちになる。こんな女と一緒に勉強なんて、これ以上は無理ね」
すると、黒薔薇も弾かれたように席を立って、まくし立てました。
「そうですわ、それはわたくしもずっと感じていました。わたくしもこのようにどうにもならない女、いやですわ」
「うちもや。やる気のない奴には出てってもらおか」
木の実までもがあかねを見て、蔑むようにそう冷たく言い放ちました。

そこには今までに見たこともないような真剣な表情の姫君たちがいました。
これは嫌がらせで言われているのではない。本気で、自分という人間に呆れている。軽蔑されているのだと、あかねは肌で感じました。

何故こうまで言われなければならないのでしょう。
自分は、言われたことをしているだけなのに。
しなければならないことをしている、それだけなのに、こんなに人として蔑まれるなんて・・・・・・。


「お妃候補という国を背負った立場をわきまえよ」
「国王と父の関係を壊さぬよう最善の努力をせよ」
「各国の姫君たちと肩を並べているのだから絶対に失礼があってはならぬ」
「王子の気まぐれにも笑顔で対応するべし・・・」

誰も面と向かって言わなくても、あかねにとって重圧になっていた全てのことが浮かんで消えます。自分は耐えなければならない。どんなことがあろうとも―――。

そう考える頭の中とは裏腹に、心には熱いものが流れていました。
体中から爆発しそうな血液が全身を巡って心臓へと戻り、とうとうあかねの中で今までの全てのことが弾けました。


「わ・・・私だって! 私だって好きでこんなことしてるんじゃないわ!!」

初めてのあかねの大声に、皆動きを止めあかねを見ました。
「大体、こんなことして何になるのよ! 王子様は私たちの誰も見てやしないわ!!それなのにあんなに火花を散らしていがみ合って・・・そこにどんな意味があると言うの!? ・・・見苦しいわ!!」

一気に言ったあかねの剣幕にも三人は全く動じることなく、平然とした顔で彼女を見つめ返しました。あかねの言っていることは的外れだとでもいうように、呆れた顔さえしていました。

「『好きになってもらえないから、好きにならない』っちゅーことか」
「え・・・っ」
木の実の言葉は、真っ直ぐにあかねの心に突き刺さりました。

「好きな相手の為に必死になることを『見苦しい』・・・その程度の女ね」
「単純な女。そうやっていつまでも自分を庇護したらいいですわ」

あかねは何も言えませんでした。
頭の中が真っ白になり、脳が考えることを拒否しています。
けれど、わかっていることが一つありました。

自分が言ったことは、間違っている。
姫君たちが、正しいのだと。

「お前が出て行かないなら、私行くね」
そう言って珊珠が出て行くと、続いて黒薔薇、木の実も部屋を出て行きました。

残されたあかねは、呆然とそこに立ち尽くしました。

『好きになってもらえないから、好きにならない』
『好きな人の為に一生懸命になることは、見苦しい』


――――――違う!


自分の言ったことに驚いてしまいます。
いつの間にこんなに心がすさんでしまったのでしょう。
自分は何も努力していないくせに、人の非難だけは偉そうにしてしまうなんて。

あかねを激しい後悔と自責の念が襲いました。
その場に崩れそうになった瞬間、
「あかね様・・・」
声を掛けられ、ハッとして辺りを見回すと、指導していた先生も他国のお供の者たちも皆いなくなって、部屋に残ったのはあかねとゆか、さゆりだけでした。二人はゆっくりと近づいてくると、あかねの前に跪きました。
「あかね様がこんなに苦しんでおられたのに何も出来ず・・・申し訳ございません・・・」
涙を流すゆかとさゆりに、あかねは自分がいかに心配させていたかを改めて痛感しました。
「そんな! そんなことない!!」
慌てて自分も腰を落として二人の肩に触れました。
顔を上げた二人の表情を見て、あかねは自分の頬にも涙が伝っていくのを感じました。 

そして、ひとしきりそこで三人泣いた後、落ち着いてから、ゆかが涙を拭って言いました。
「あかね様、これからはもっと、わたくしたちに何でもお話し下さいね」
それに続いてさゆりも
「わたくしたちではお役に立てないことも多々あるかもしれません。それでも・・・出来る限り、あかね様の為に全力を尽くしますから」

二人の言葉に、あかねはこう返しました。
「うん・・・ありがとう」
そこには、あかね本来の笑顔が取り戻されていました。

「あの・・・早速二人を頼りたいんだけど・・・いい?」
「もちろんです」
笑顔のあかねに二人も笑顔で返すと、あかねはゆっくりと言葉を続けました。
「すぐに、三人の姫君たちに会えるよう取り計らってくれないかな」
あかねの言葉に何かを察した二人は、それ以上何も聞かず、
「わかりました。早速手配いたします」
そう言って、まずさゆりが出て行きました。そして
「あかね様、一度お部屋へ。お顔を・・・」
ゆかにそう言われ、あかねは自分がどういう顔をしているのか想像してまた笑ってしまいました。


一度自室に戻って顔を洗い、化粧をし直したあかねは、即三人に会いに行きました。
三人はそれぞれの部屋へ戻っているとのことだったので、一人ずつそこまで出向いて行きました。

木の実は、出向くと話が表の者に通っていたようですぐに奥へと案内されました。木の実の自室で二人きりになると
「・・・ごめんなさい」
まずそう切り出したあかねに
「なにがやの?」
木の実は冷静に切り返しました。
「ずっと勉強にも全く身を入れず、無気力で姫様たちと接していたこと。自分を卑下して、卑屈になっていたこと。それを周りに心配させていたこと」
ゆっくりと話すあかねの言葉を、木の実は真剣に聞いています。
「私も、王子様のことが好きなの。・・・だから、負けない」
最後に木の実を見据えてはっきりとそう言ったあかねの瞳は、つい先程までの何も映していないものではありませんでした。強い意志を秘めた真っ直ぐな瞳。それを真正面から見返して、木の実は笑顔で
「上等やないの。それでこそ、この国のお妃候補や」
そう言いました。あかねも、笑顔で頷きました。
「負けへんよ」
言いながら、あかねに右手を差し出した木の実。両手でそれをしっかりと握りしめたあかねは、木の実の優しい眼差しに、相手に対する思いやりを感じました。


次に向かったのは、黒薔薇のところです。
黒薔薇は、入ってすぐの庭にいました。
日が落ちかけた夕暮れの庭で、あかねは誠心誠意、謝罪と自分の決意を口にしました。
あかねが話し終わると、黒薔薇はゆっくりと
「・・・そう」
と呟くと、踵を返しました。
「・・・・・・っ」
あかねは尚も言葉を探しましたが、黒薔薇はスタスタと入り口の扉まで行くと振り返って、
「乱馬さまは、わたくしのものですわ」
その笑みに、言葉に満ち溢れる自信。あかねが笑顔を返すと黒薔薇は返事も待たずに部屋へ帰っていきました。


最後に珊珠のところへ向かいましたが、珊珠は自室におらず、あかねは帰ってくるまで前で待つことにしました。
日が暮れてからしばらくして帰ってきた珊珠は、あかねを見るなり嫌な顔をして横を足早に通り過ぎようとしましたが、あかねは前に立ちはだかって通しませんでした。
「・・・お願い。話を聞いて」
真っ直ぐに見つめたあかね。その瞳を見て、珊珠は足を止めました。
「あなたが言ったことは、全部正しい。こんな女と一緒にいたくないって思われても仕方がない。けど、もう一度だけチャンスをちょうだい。あなたたちと一緒に勉強がしたい。・・・王子様を、好きでいたいの」
あかねの言葉を珊珠はフッと鼻で笑うと、こう答えました。
「女傑国の女、誇りのない人間一番嫌う。覚えておくといいね」
そう言って横を通り過ぎました。あかねは振り返ると
「・・・あたし、負けないからっ!」
叫んだあかねに、珊珠は反応せず部屋へ入りました。
しかし、その凛とした態度に、あかねは次に会ったときもあの誇りあるきっぱりとした態度で自分に臨んでくれるだろうと確信していました。


自室に戻ったあかねの心は、晴れ晴れとしていました。
『王子を好きでいる自分』に自信と誇りを持つこと。
『自分』を好きでいること。
そこに気付かせてくれた三国の姫君たちに、あかねは心から感謝していました。
そして、ずっと支えてくれている、ゆかとさゆりにも。

窓を開けると、空には三日月。欠けた月は何処か冷たい雰囲気を醸し出しながら、優しさを身に纏っていました。

「好きでいてもいいよね、乱馬」
あかねは月を見上げ、陰りのない瞳でそう呟きました。

   “心 あなたでよかったと歌うの
    最後の人に出逢えたよね”

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あかねは、前向きで、自然と周りを明るくさせるとても優しい子だと思います。
だから、この章に王子は出しませんでした。
王子に勉強を手伝わせたり、試験があかねに有利に働くように仕向けさせることは簡単。でも、そうではなくあかね自身の力で前を向いてほしかった。
この想いが王子にすぐに伝われば苦労はしません。