不機嫌な王子様

7.帰宅

あかねは舞踏会終了後、一週間熱が下がりませんでした。
最初の三日間は熱も高く、動ける状態ではなかったので、医務室でずっと休んでいました。その後、自室へ戻ってからも、医師東風は毎日往診に来てくれましたし、ゆかとさゆりも出来るだけ側にいてくれましたから、あかねはなんとか笑顔で接することが出来るようになりました。
しかし・・・あかねはやはり一人になると、そして夜寝る前になると、自然と溢れてくる涙を止めることが出来ませんでした。
熱が下がるのが、怖くて仕方ありませんでした。熱が下がったら、いよいよお妃候補の勉強が本格的に始まるのでしょうか? 王子の顔を見たら泣いてしまわないだろうかと、あかねは王子のことを考えれば考えるほど、辛く苦しい気持ちになるのでした。それとは反対に『乱馬に会いたい・・・』そう思うあかねの気持ちを裏切るように、王子は一度も、あかねの部屋へは現れませんでした。

二週間もたつと、あかねはすっかり元の身体に戻りました。
その間に、ゆかとさゆりから聞いたことは『あかねの体調が完全に良くなるまで、今後の予定は未定のままである』ということです。
あかねはこの時、床に伏せっている間中ずっと考えていた「あること」を口に出そうと決心していました。

「ねえ、ゆか。お父様にお会いしたいのだけど、都合をつけてもらってもいい?」
「はい! あかね様が御自分から何かを所望されるなんて珍しいですわ。すぐに手配致しますね!」
ゆかは喜んで大きく頷くと、部屋を出て行きました。
あかねはそれを笑顔で見送った後、溜息をついてうな垂れました。

翌日の午後、早速早雲と会う機会を作ってもらったあかねは、軽い身支度を済ませると彼の書斎へと向かいました。
書斎にはもちろん、あかねの大好きな父が待っていました。
「具合はどうだい? この間より顔色は良いようだが」
にこやかな笑顔を見せた父に、あかねは少し笑顔を返して
「はい、もう大丈夫です。ご心配をお掛けいたしました」
と一礼しました。そしてすぐに、真剣な面持ちで本題を切り出しました。
「お父様、お願いがあります」
「なんだい?」
「私を、うちへ帰してほしいのです」
「・・・・・・!?」
早雲は愛娘の突然の言葉に動揺を隠し切れませんでした。
「な、なぜ・・・」
「お姉さまたちに、お会いしたいのです。一日だけでもいいですから・・・このお城から出られませんか?」
そこまで聞いて、お妃候補を辞退したいということかと思った早雲は、ホッと胸をなでおろしました。
「そうだな。かすみとなびきもお前のことをとても心配しているよ。ここへ来たときも、急にお前を呼び寄せてしまったしな・・・。早速国王と王子に進言してみよう」
「ありがとうございます」

もう一度深く礼をして、ドレスの裾を翻すと、あかねは早雲の書斎を後にしました。
その優雅にして華麗な身のこなしを見て、早雲は娘の立ち居振る舞いがいかに淑女らしく成長したかを実感しました。しかし愛しい娘の表情には明らかに翳りがあり、それは病気がもたらしたものだけではないということに、早雲は薄々気付いていました。
この一時の帰宅が、あかねの辛い気持ちを少しでも紛らすものになればとの願いを込めて、早雲はすぐにあかねが数日間家で過ごせるように手配したのです。

数日後、帰宅する準備を全て整えたあかねの気持ちは晴れやかではありませんでした。
あの時・・・早雲の書斎へ行った時に、あかねは本当は「お妃候補を辞退したい」と進言するつもりでした。「私をうちに帰してほしい」と言ったあの瞬間まで、あかねは本気でそう続けようと思っていました。しかし・・・早雲の心底驚いた顔を見たら、次に発した言葉は自分が考えていたこととは違うものでした。
あかねに許された、たった三日間の自由は、それが終わった後の地獄を余計に辛いものにさせます。あかねが王宮へ戻ったら、すぐにでも他のお妃候補とのレッスンが開始されるということを、あかねは昨日耳にしました。彼女にとってそれは意味のないものに等しかったので、もはや苦痛以外の何も感じられませんでした。

「あかね様、お気をつけて・・・」
「私たちはあかね様がお戻りになられるのを心よりお待ち申し上げております」
広場で待っていた馬車に乗り込んだあかねに、ゆかとさゆりは寂しそうな笑顔を向けてそう言いました。二人の温かい言葉に、あかねはゆっくりと頷きました。そして、ここへ初めて来たあの日のように、あかねは一人で王宮を出ました。

王宮の外は、あかねがそこに行く前と少しも変わっていません。が、見慣れていたはずの町並みがとても懐かしく、愛しいものに感じられます。
あかねは窓の外を見ながら、たった三日間の自由でも、ほんの少し解放されたような気がしてきました。

「あかね!」
「あかねちゃん!」
家に着くと、父から連絡を受けていた二人の姉が、家の前で出迎えてくれました。
「かすみお姉ちゃん・・・なびきお姉ちゃん・・・!」
あかねは馬車が止まった途端、転がるようにして馬車から飛び降りると、二人の胸に飛び込みました。
「まあ・・・危ないわ、あかねちゃん」
「そうよ・・・って何泣いてんの。しっかりしなさいよ」
そう言いながら、二人の目にもようやく妹と再会できた喜びの涙が浮かんでいました。

ひとしきり再会を喜び合い、長姉・かすみからお茶を淹れてもらって落ち着いた頃、次姉・なびきが話を切り出しました。
「お父様から大体のことは聞いているけど・・・何があったのよ?」
あかねは二人にゆっくりと事の顛末を話しました。出来るだけ自分の感情を入れないように、冷静に事実だけを述べました。
「ふーん、王子様のお妃候補・・・ねえ・・・」
なびきが一瞬何かを考えたことに、あかねは全く気付きませんでした。
「明後日にはまた王宮に戻らないといけないから・・・あまりゆっくりはしていられないんだけど、ね」
あかねは上手く笑えている自信がありましたが、王子のことを話している時だけは気を抜くと涙がこぼれそうで必死に我慢しました。
「そうそう! 王宮には東風先生がいたからびっくりした! 今は王宮専属医師なんだって」
一瞬沈んだ空気を明るくしようと話題を変えたあかねの言葉に、二人の姉は大げさに喜んでみせました。
「まあ・・・すごいわねぇ」
「そうなんだ。やるじゃない」
本当は二人とも、東風が王宮専属医師になったことをずっと前から知っていました。

東風は近所の町医者の息子で、姉妹よりも少し年上であったために幼い頃から三人を妹のように可愛がってくれていました。特に末子であるあかねは、生まれたときからずっと優しく関わってきてくれた東風を、本当の兄のように慕っていました。
王宮専属医師となり王宮に住むようになってからも、東風は三人のことを気に掛け、特にかすみとはよく連絡を取り合っていたので、彼女は当然そのことを知っていました。なびきは直接聞いたわけではありませんが、彼女の耳には様々な情報が逐一入るので知っていたようでした。

大好きな姉たちと語らいながら、どんな有名シェフよりも美味しくて優しいかすみの手料理をお腹いっぱい食べ、自室に戻ったあかねは、小さい頃から使ってきた自分のベッドで、久しぶりに安眠することが出来ました。

翌日、朝日が完全に昇ってしまうまで熟睡していたあかねは、ゆっくりと起き上がるとダイニングへ向かい、かすみが用意してくれた朝ごはんを食べました。
「あかね。今日することは何か決まってるの?」
そこへなびきが来て、あかねに話し掛けました。
「ううん。まだ考えてないけど・・・」
「そう。じゃああたしについてくる? いろいろなものを見せてあげるわよ」
「え? お姉ちゃんに? ・・・うん、じゃあ」

あかねはなびきの提案に少し驚きましたが、素直に頷きました。なびきは本当にいろいろな場所に連れて行ってくれました。そのどれもが、あかねには行ったことのない場所で、新鮮でした。
「日が暮れてきたわね・・・。じゃあ、今日はここを最後にしましょう」
なびきが最後に案内してくれたところは、街の大通りから一歩入った、街中にあるのに普通に生活していると気が付かないような、目立たない酒場でした。
中に入ると、まだ日が暮れていないのにも関わらず、すでに何人かのお客が来ており、思い思いに酒を飲んだり酌み交わしたりしていました。

あかねは、このような場所に来るのは初めてでした。
なびきは、迷いもなく奥まで進んで、一番奥の、外扉からは特に目立たない席に座りました。すると
「へえ・・・君が誰かを連れてくるなんて珍しいな」
すぐにカウンターから一人の男が出てきて、親しげになびきに話し掛けました。
異性に対して比較的無関心なあかねでも「わ・・・」と思うほど、華のある美青年でした。切れ長の目。端正な顔立ち。甘い声。仕草。どれをとってもソツがなく、きっとこの青年から声を掛けられて喜ぶ女性はさぞ多いことでしょう。
なびきが多方面に詳しいことはかねてより承知していましたが、ここまで知り合いが多いとは・・・あかねはそのなびきの世界の広さに圧倒されていました。
「大事な妹だからね。手出し禁止よ」
なびきは、近づいてきた彼に一言言い放ちました。
「僕がそんなことする男に見えるかい?」
そう言いながらも青年はあかねの手をとり、甲に挨拶代わりに軽くキスをしました。
あかねは一瞬の出来事に何が起こったかすぐには理解出来ませんでしたが、なびきがぎろりと睨んだので青年はすぐに「挨拶、挨拶」と言いながらあかねから離れました。そして
「もちろん、君にも」
と言ってなびきに近づきましたが、彼女の有無を言わさぬ鋭い視線に「はいはい」と後ずさりするしかありませんでした。
「・・・適当に何か出して。つまむから」
なびきが事も無げにそう言うと、彼は頷いて一度厨房に姿を消しました。

「ここ、王子様がお忍びでよく来るって噂よ」
突然そうなびきから耳打ちされたあかねは、出てきた『王子』という言葉にドキリとしました。ここに、王子が・・・? 何の為に?
そう考えた瞬間、すぐ近くで女性の甲高い声が響きました。
「これ、可愛い・・・。アンジェルナ、アンジェルナ!!」
びっくりして顔を上げると、髪が美しい栗毛色のふわふわで、可愛らしい女性・・・『女性』というよりは『女の子』に見えますが・・・どうやらあかねが持ってきたバッグについている宝石が気に入ったようです。それをじっと見つめて、手を伸ばそうとしています。
その手に別の手が伸びてきて、あかねのバッグに触れる直前に彼女の手を止めました。
「ごめんね・・・この子可愛いものを集めるのが趣味なんだけど、可愛いものを見つけると、その場で名前をつけて持ち帰る癖があるから・・・気をつけて」
先程の青年が、女の子の手首を掴んでいました。
「三ちゃん! は〜な〜し〜て〜」
「いい加減にしろ、この駄々こね女が!!」
青年の態度が先程までの気取ったものとあまりに違うので、あかねは驚きながら事の成り行きを見守っていました。すると、
「あーん、三ちゃんの意地悪!! もういいもん、あずさちゃん疲れた!」
そう言うと「あずさ」と名乗る女性はすぐに奥へ消えてしまいました。
後に残された「三ちゃん」と呼ばれた青年も、二人分の飲み物とつまみを少々置くと
「あ、じゃあ・・・ごゆっくり。あ・・・君。またね」
そう言って、それ以降いなくなりました。後は、別の店員が応対してくれましたが・・・二人の姿は見掛けませんでした。

「な、なんで王子様はここに来るのかしら・・・?」
しばらくしてから、あかねがずっと気になっていたことを恐る恐る口に出すと
「さあね。王宮にいると息抜きしたくなるのか、こういう場が珍しいのか・・・さっきの『あずさ』って子に御執心って噂もあるし、ね」
ちらりと横目であかねを見ながら話したなびきは、妹の顔色が変わったことに当然気が付きました。そして、あかねの王子への気持ちに確信を抱きました。

『自分が見ていた王子は、本当に王子の一部分でしかなかった』
この事実に、あかねは多少なりともショックを受けていました。
あの1ヶ月で王子のいろいろな面を見たつもりになっていましたが、それは全くの独りよがりだったようです。王子の世界は、こんなにも広く果てしない・・・。王子のいないこの王宮外で、自分と過ごした時間など取るに足らないものだったと、改めて実感することになってしまったあかねは、想像以上の辛さを味わっていました。

また一層、王宮に戻りたくない気持ちが強まってしまいましたが、無常にも時は流れ、あかねは翌日の夜には王宮にいました。ゆかとさゆりが笑顔で出迎えてくれても・・・あかねはもう、笑顔を返すことは出来ませんでした。口の端だけ機械的に持ち上げるようにして笑うと、あかねはまた自室の枕を濡らすことになりました。

・・・あかねが、王宮から姿を消していた三日の間に、王子はある一つの事実にたどり着いていました。それは、ありとあらゆる王宮の人間に東風について探りを入れていた時のことです。
「ああ、東風医師は、騎士団長殿の古くからのお知り合いだとか。お嬢様方を本当に幼い頃から、妹のように可愛がってこられたそうですよ。医師自身が先日、目を細めてそう話しておりました」
複数の人間から様々な情報を仕入れ、これを聞いた瞬間、王子の考えていた全てのことが一本の線で繋がりました。
『そうか・・・それで。東風に向けたあの苦しげな表情、涙・・・。好きな男に他の男のお妃候補だということが知れたら、泣きたくもなる・・・か』
王子は相手に分からないほど一瞬だけ苦しげな表情をして、その場を立ち去りました。
しかしその後、公務に戻るまでの間に、端正な顔に凄みが出るほど冷淡な顔になりました。無表情ともいえるその顔を見て、誰もが話しかけるのを戸惑いました。

翌日、あかねを更に追い詰める出来事が起こりました。
「え・・・セッコツ地方へ?」
「そうなんだよ。僕も急な話で少し戸惑ったけど・・・以前から向こうの地域へ一度は行って、実際に病気に苦しむ人たちを助けたいとは思っていたから。決まっているのは行く日にちだけで、日程等は全くの未定なんだ」
「そんな・・・」
東風が遠いところへ出張するという話を聞いて、あかねは、今のこの状況で安心して話せる数少ない一人を失うのかと思うと、何ともいえない心細さに襲われました。今にも泣き出しそうな顔で見上げたあかねの頭を、東風はよしよしと子どもをあやすように何度も撫でてやると、
「帰ってきたら、まずあかねちゃんに報告するから・・・」
そう言って、去って行ってしまいました。
あかねが心底辛そうにしているのを、その場に潜んでいた王子はまたはっきりと見てしまいました。

自分が仕組んだことで、あかねは苦しんでいる。それが痛いほどわかっていても、王子はどうしようもない激しい嫉妬の炎に襲われていました。

   “嫉妬という バケモノを 胸に飼いならしてる”

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もうこうなってくるとオールキャスト。黄金ペアは大好きだから出せて嬉しい。
王子はどんどん壊れてってるけど、彼に暴走してほしいという意見はかなり多いので大丈・・・夫?

<2014.4.6 追記>
第7章から続く全く別のお話がひそかにあったりします。
詳しくは↓↓