不機嫌な王子様

5.社交界デビュー(3)

「・・・死ぬかと思った」
一日を終えて自室に戻った王子は、中に入るなり閉まった扉に背をもたれかけズルズルと腰を落としました。
自ら仕組んだこととはいえ、こんなに緊張するとは思いませんでした。
愛しい娘と、身体を密着させダンスを踊るのです。
努めて平静を装い、余裕のあるフリをしました。
しかし実際には自分が何を言っているのかも途中でわからなくなる程極度に緊張しており、相手の反応を見る余裕などあるはずもなく、只ひたすらワルツの練習に没頭したのでした。
予定通り18時に終わらせると、お互いに湯浴みの時間をとった後、あかねを夕食に招待しました。
あかねは当然不思議そうな顔をしていましたが「どうせ他に夕食を食べる奴もいねーだろ。一人で食べたいのか?」と無理に押し切りました。
あかねに一人寂しく夕食をとってほしくなかったからなのですが、二人で夕食を食べていても自分から話し掛けることは出来ず、あかねも終始黙っていたので、沈黙のままその時間を終え「自室に戻って休め」とだけ言い残して自分からその場を後にしてしまったのです。
あかねは嫌な思いをしたのではないか・・・そう気遣う気持ちと、一刻も早く自分のことを一人の異性として意識してほしいと思う気持ちがないまぜとなり、王子は深い溜息をついて立てていた片膝に頭を落としました。

王子がそんな様子であるなど知る由もないあかねは、自室に戻って今日一日のことを振り返っていました。朝からなんといろいろなことがあったでしょう。いえ、ここ数日間はいろいろなことが起こりすぎているのですが。今日の行動が明日からの生活の基本となるので、しっかり頑張らなくては、と思う反面、今後もあかねには予想もつかないことばかりが起きそうで不安も大きいのでした。

それからあかねの毎日は、あっという間に過ぎていきました。
朝の勉強が楽しくなったあかねは、みるみるうちにその才女ぶりを発揮し、どの先生からも一目置かれる存在となりました。その吸収率の良さには王子を教育してきた優秀な教師たちも脱帽で「昔王子に教えていた頃を思い出す」とよく言われました。
あかね自身はとにかく学び・知ってゆくことがとても楽しくて、毎日この時間を楽しみにし、夜自室に戻っても眠くなるまでひたすら予習・復習を欠かさずするようになったので、一人の時間も寂しくなくなりました。

昼の会食はというと、一週間無理矢理お供の者たちが頑張ってみたのですが、初日となんら変わらず毎日上手くいかないので、とうとうあかねの社交界デビューが済むまで交流は行わないということになってしまいました。
この会食には、王子が毎日自ら進んで来て下さっていたので、姫君たちは延期の知らせを聞いてそれぞれ激怒したのですが、お供の者たちから「誰のせいですか!」とさすがに反論されるとムッとしたまま納得せざるを得ませんでした。姫君たちにも、何日かけてもあの状態のまま変わらないだろうということが薄々わかってきていたからです。そうなると1ヵ月後に再度交流を始めることも難しいのでは・・・?という考えは誰も思っても口にしませんでした。

夕方のワルツの練習が、あかねにとって意外にも一番苦痛なものとなりました。どうやら自分は、自分で思っていた以上に不器用だったようです。王子が言っていることは頭ではすぐに理解できるのですが、手足がもつれたりすることはしょっちゅうで、もう幾度となく王子もろとも転びそうになりました。王子にもそれは意外だったようで、初めのうちは「気をつけろ」「手はこう、足はこう動かすんだ」と理屈で教えようとしていたのが、次第に器用さの問題であることに気付き、溜息をつきながら教えようとしていたのが完全に諦めへと変わり、とうとう本番は最初の一回だけきちんと踊れればそれでいいとまで言われるようになってしまいました。

練習後の夕食は、王子があれ以来当然のように毎日手配しているので今ではすっかり二人の日課となりました。初めて二人で夕食をとってから三日ほどたったある日、いつものように王子は言葉少なながらあかねに話し掛けました。
「何か、不自由なことはないのかよ?」
「いえ、特には・・・。ゆかとさゆりがとてもよくしてくれています」
「そうか・・・」
また沈黙となりました。あかねは初日からその重い沈黙がずっと嫌で、それをどうにかしたくて、初めて自分から声を掛けました。
「あの・・・このお料理、おいしいですね」
「当たり前だ。ムッシュー・ピコレットの料理の腕は国一番だからな」
王子は平然と答えました。しかしあかねはそれに過敏に反応しました。
「ムッシュー・ピコレット!? あの、シェフとしては超一流で有名な・・・」
「ああ」
「伝説のシェフ、マダム・サンポールに匹敵する実力とか・・・」
「そういえばそう言われてんな。それが何だよ?」
「いえ・・・そんな有名人の作った料理を食べていたのかと・・・」
「あのな・・・ムッシュー・ピコレットは、王宮仕えのシェフなんだから俺やお前が毎日食べて当然だろ? まぁ、奴は少し常識が足りないから・・・時々よくわからないことをしたりするが・・・」
「そうなんですか?」
王子がほんの少し顔を歪めたので、あかねは不思議そうに聞き返しました。
「ああ。ついこの間も、牛の丸焼きを作ったが大きすぎて手では運べないからと言って、頭の上に大きなお皿をつけてその上に牛を乗せて現れた」
「・・・・・・」
人の頭の上に大きな牛が乗っているのを想像して、あかねは思わず笑ってしまいました。
「な? わけわかんねーだろ?」
王子も一緒に笑いました。あかねは王子の笑顔に心臓がドキンと高鳴ったのを嫌というほど感じました。そしてその後ずっと、その胸の高鳴りは消えませんでした。こんな風に和やかな空気は初めてで、あかねはとてもうれしくなりました。
そうしてその日から、二人は毎日練習中や夕食中に何気ない会話を交わし、楽しい時間を過ごせるようになったのです。

では、あかねがそうして過ごす一方で王子はどう日々を過ごしていたのかというと、まず朝6時から自主稽古、午前中は国王になるための専門的な勉強、午後は公務に励むか騎士団にいて団員たちと話をしたり稽古をつけたり、夜は王子だとわからないように変装して街へ出て、城下内の治安や経済状況など、自分の目で確かめ、これから王宮にはどのようなことが必要とされてゆくのかを考えたりしていました。
ここまでは今までと変わらない生活ですが、夕方のワルツの練習だけは本当に毎日緊張の連続でした。ただ、あかねはワルツが苦手なようで、基本も出来ずなかなか上手にならないので「下手くそ」「不器用」などここぞとばかりにからかって気持ちを落ち着かせていましたが。

そしてある日、王子はある一つのことが気にさわることに気が付きました。
「王子様」
とあかねが呼んだ時のことです。王子は、今までずっと皆にそう呼ばれてきたのに、あかねにそう呼ばれるのは何故か少し不愉快でした。
「名前で呼べよ。俺にもれっきとした名前があるんだからな」
王子にとっては素直に出た一言でしたが、あかねは一瞬何のことかわかりませんでした。しばらく考えてから、
「え・・・。乱馬王子さま、ですか・・・?」
「だーっ! 違う! 乱馬でいい!!」
「ええっ!? そんな恐れ多い・・・」
きっぱりと言い切った王子に対し、あかねは大きく目を見開いて驚きました。
「何が恐れ多いだ。ワルツの練習の時は容赦なく足を踏んづけるくせに」
少し笑って意地悪く王子がそう言い返すと、あかねは素早く
「そ、それは・・・申し訳ございません!」
と頭を深々と下げて言いました。
「謝らなくていいから、名前で呼べよな」
「え・・・」
なおも同じことを繰り返し要求する王子に、あかねは戸惑いの表情を隠せませんでしたが、
「はやく!!」
と王子が急かすと、言葉が勢いで押し出されるように
「ら・・・ら、んま・・・?」
と呟きました。王子が
「そうだ」
と答えると、もう一度あかねは問い掛けました。
「乱馬・・・?」
「そうだよ。なんだよ、あかね」
『あかね』・・・そう呼ばれて、あかねが顔を真っ赤にすると、王子はそれと同じ反応を示し、
「照れるなよ! 俺まで照れるじゃねーかっ!」
二人は顔を真っ赤にして、笑い合いました。
「ついでに・・・俺と二人のときは、敬語も使うなよ」
王子の言葉に、あかねは赤い顔で俯いたまま
「・・・うん・・・」
と呟きました。

さて、一ヶ月があっという間に過ぎ、『青い花の舞踏会』を前日に控えた街の話題はもちろん、それに関するものばかりでした。中でも本来の社交界デビューの年から一年遅れて、今年デビューするという噂の美少女のことは、町の隅の方に住む人たちまで皆当たり前のように知っているほど、話題の中心となっていました。
「明日、騎士団長様の末のお嬢様が社交界デビューする話、知ってるか?」
「おお、知ってる知ってる。何でも、ご病気で一年間床に伏せっておられて、本来の年齢である16歳になる年を過ぎてしまったが、お父上である騎士団長様がどうしてもとおっしゃるので、異例に一年遅れた今年社交界デビューなさるらしいなぁ」
「騎士団長様が貴族の出だったってことにも驚きだが、そのお嬢様の可愛がり方もすごいなあ。本当に目の中に入れても痛くないというか」
「ああ。あの自分にも人にも厳しい騎士団長様も人の子だということだよな」
「しかもその愛娘様、優勝候補らしいじゃないか」
「ええっ!? じゃあ本当にものすごい美人なんだな・・・!」
「なあ。お目にかかりたいよなあ・・・」

このように街の人たちに噂されているとも知らず、当の本人は最後の練習に励んでいました。大分上手くなり、王子の足を踏んだり、足がからまったりすることはなくなりました。この分では、うまくいきそうです。
練習を終えた後、王子は「ちょっと待ってろ」と言うと、別の部屋から大きな包みを持って戻ってきました。
「ほら」
王子はあかねと目を合わせずにその包みを差し出しました。
「え・・・」
あかねが戸惑いながらその包みを受け取り、開けると、とても鮮やかな青のドレスが一着と、別の小さな箱にアクセサリーが、また別の箱には靴とバッグが入っていました。合わせのデザインが可愛らしい身頃の、鮮やかな青のサテンが抜群の存在感を放っているそのドレスを、あかねは心から可愛いと思いました。
「ありがとう・・・乱馬」
あかねの笑顔に対して王子は照れたようにプイッと顔を背け、
「早雲から預かったものを渡しただけだ」
と言いました。しかしあかねはその言葉に違和感を感じました。
『お父様の選ぶドレスとは明らかに趣味が違う・・・』
早雲は常日頃から娘たちに嫌というほどレースやフリルの付いた女の子らしいドレスを着せたがり、何度言っても父に選ばせるとそういったものになるので娘三人とも困ってしまうほどでした。ですから、あかねにはこのドレスが早雲が選んだものとはとても思えませんでした。
『そういえば、私の部屋にあるドレスも皆こんな風にすごく趣味が良いものばかりだった・・・』
あかねは改めて、今まで1ヶ月間袖を通してきた自分のドレスが素敵なものばかりで、自分も気に入るものがとても多かったことを思い出しました。
『このドレスや、部屋にあるドレスを選んだのがお父様じゃないとすると、まさか・・・』
あかねは自分の頭に浮かんだある一つの仮説を『まさか・・・』と思いながらも、王子の照れた表情を見ているとそんな気がしてならず、思わず思っていることを口に出しました。
「このドレスは、乱馬が選んでくれたんだよね・・・?」
「ばっ・・・ちげーよ!!」
そう言いながら王子の顔はみるみるうちに真っ赤になったので、あかねは答えを頂いたようで、もうそれ以上このことを口にはしませんでした。でも、あかねはとても幸せな気分になりました。

その後、王子が珍しく「夕食は別々に」とあかねに告げた為、あかねはいつもよりゆっくりと湯浴みをし、終えた後部屋に戻ろうとしていました。
すると、一瞬でしたが遠くに王子の姿を見つけました。騎士団員の服、それも新人用の服を着ているので一瞬見間違いかと思いましたが、あかねは王子だと確信が持てました。
『こんな時間からお忍びで、一体どちらへ・・・?』
考えるより先に身体が動いていました。追いかけてどうするつもりなのか・・・しかし身体はその答えを待たずに王子を追って走り出しました。
あかねはその後懸命に追いかけましたが、王子の素早さにはとてもついて行けず、すぐに見失ってしまいました。
「もう・・・早すぎるわ」
あかねは夢中で追いかけていたので、自分が湯上りの格好であることも忘れていました。
「・・・っくしゅん! いけない、湯冷めしてる」
いくら初夏とはいえ、薄着で湯上りに外をうろうろしたあかねは、すっかり湯冷めしたようでした。
「早くお部屋に帰らなくちゃ」
しかし、部屋に帰って夕食を軽くとった時も、その後いつものように勉強しようとした時も、目の前のことに全く集中できません。頭の中は王子が今何をしているかでいっぱいでした。いつもと違う服装も格好良かった・・・なんて考える始末で、
「んもう! 明日は大切な日なんだし、もう寝ましょう」
とベッドに入ったものの、やはりあかねの頭の中は王子だけが支配していました。そのうちあかねは、ふとあることを思いつきました。
『まさか私、乱馬のことを・・・?』
ふいに浮かんできたその考えを、あかねは大きく首を振って否定しました。
『そんな・・・! なんて身の程知らずな・・・!』
しかし否定すればするほどその気持ちは自分の中で膨れ上がってゆくようでした。あかね自身は認めたくなくても、もう心はどうにもならなくなっていたのです。

あかねは、その夜遅くまで王子のことばかりを考えて、なかなか寝付けませんでした。

   “今、君に伝えたくて 光を集めて 心に描く想いは
    きっと幻じゃなくて 僕らをつなぐ 淡い光”

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「社交界デビュー編」・・・最後だけは決まっているのに、そこになかなか辿り着かない・・・。
あかねが乱馬を好きになっていく(二人の距離が近付いていく)過程を上手く書けていれば幸いです。
ピコレットとサンポールはあのシーンを書いているときに思いついたので登場してしまった。