不機嫌な王子様

4.社交界デビュー(2)

あかねは早雲の書斎を出た後、自室に戻りました。ゆかとさゆりが出迎えてくれました。そのあと、二人は王宮の中を案内してくれました。
しかし、あかねが行ける範囲はかなり限られていて、連れて行ってもらった場所は、自室の周りの、あかねのために用意された一角と、貴族なら誰でも利用できる広間やテラス、庭園等のみです。王族に関わる場所や、他の姫君たちがいる場所等、説明は受けましたがもちろん中には入りませんでした。

一通り歩き回った後、二人は最後にあかねを木漏れ日の差し込む静かなテラスに案内し、椅子に座らせてサンドイッチと紅茶を運んできてくれました。
「朝食もあまり召し上がられていないようでしたので、これなら少しは食べて下さるかと・・・。ハムサンド、卵サンド、野菜サンドがありますが、苦手な食べものなどございませんか?」
「紅茶は、クセの少ないアッサムティーにしましたが・・・ミルクがとてもよく合うんですよ。ミルクティーは、お好きですか?」
あかねは二人の気遣いに、心が温かくなるのを感じました。
「二人とも・・・ありがとう。嫌いな食べものは、ないわ。ミルクティーも、大好き。こんなにたくさんあるんだから、一緒に食べましょう?」
「いいえ、そんな! そんなわけにはまいりません!」
二人は慌てて手と首を横に振り、頭を下げました。
「そっか、あなたたちの立場から考えると・・・。じゃあ、こうしましょう。“命令”です。あと二つ、自分たちの好きな紅茶を入れてきて下さい。そして、私の隣でサンドイッチを一緒に食べましょう?」
いたずらっぽく笑ってそう言ったあかねに、二人は
「あかね様・・・。ありがとうございます」
「承知いたしました!」
と、笑顔を返しました。

それから、テーブルの上のサンドイッチと紅茶を囲んで、三人で楽しい一時を過ごしました。
ゆかとさゆりは、乱馬王子のことをいろいろと話してくれました。
王子が12歳の時、王国博士号を取ったこと。14歳の時、王国剣術大会で騎士団の剣の使い手たちをも破って優勝したこと・・・。

聞けば聞くほど素晴らしい経歴に、あかねはただ唖然とするばかりでした。
そしてまた、あの時の王子の冷たい言葉を思い出して、胸が痛くなるのでした。

あかねは小さく首を横に振ると、違うことを考えようとしました。
そしてふと、初めて王宮に来たとき偶然にも入ってしまった、あの庭園に案内されなかったことに気付きました。とても綺麗な庭園でしたが・・・やはり入ってはいけない場所だったのでしょうか。
「あの・・・多分王宮の奥の方にある、白い花がたくさん咲いてる庭園を知らない?」
あかねの言葉に、ゆかとさゆりは顔を見合わせました。
「白い花が咲き誇る、王宮の奥の庭園。・・・と言えば、お妃様専用の『フェアリー・ガーデン』が思い出されますが・・・。王族の方以外は、出入り禁止です。なぜあかね様がご存知なのですか?」
不思議そうに聞く二人に
「あ、いや・・・。ちょっと聞いてみただけ」
と曖昧な返事をしながらも、大変なところに入ってしまった、とあかねは胃が小さくなる思いがしました。しかし同時に、あの美しい庭園をもう見られないのかと思うと、切ない気持ちにもなりました。
「なんでもないの! さ、次はどれを食べよっかな♪」
無理に明るく振る舞うあかねを気遣いながら、二人もまた、笑顔であかねに答えました。

テラスに差し込む光が弱くなり、辺り全体が夕暮れに染まり始めた頃、ゆかが
「少しの間、失礼します」
と言って席を立ちました。彼女は、少しすると手に紙を持って戻ってきました。
「あかね様。明日からのご予定を申し上げます」
ゆかが椅子に座っているあかねにそう話し掛けると、さゆりも席を立ってテーブルの上を片付け始めました。
「ああ、はい。お願いします」
あかねは気を引き締めて、ゆかの次の言葉を待ちました。
「本来ならすぐにでも、あかね様を含む四人のお妃候補様方には、ご一緒にこの国についてお勉強をしていただいたり、サオトメ王家の礼儀作法を学んでいただいたりするはずだったのですが、あかね様が次の『青い花の舞踏会』で正式に社交界デビューなさるということで、そのご予定は舞踏会以降に延期のようです」
そこまで言って、ゆかは手に持っていた紙を広げました。
「そして舞踏会までは、次のようなスケジュールになります。まず、朝7時起床。ご朝食の後、9時から12時まで、この王国の歴史・現在の情勢、一般教養などをお勉強していただきます。12時から昼食は毎日、姫様方同士の仲を深めるためにお妃候補様方四人一緒でとのことです。これには、国王様を始め王妃様、王子様も時間があればご一緒して下さるそうですよ。その後14時から16時までは、貴族としてのたしなみや礼儀作法についてのお勉強です。16時から、ワルツのレッスンになります。18時終了予定で、その後湯浴み、ご夕食の後はお部屋に戻られて良いようです。それから・・・騎士団長様から『明日からレッスン開始だ』とのご伝言を承りました」
ゆかはあかねの顔を見ながら、反応を確かめながらゆっくり予定を読み上げてくれたので、しっかり頭には入りましたが、それにしても・・・聞くだけで憂鬱になってしまうような時間がなんと多かったことでしょう。いえ、むしろそんな時間だらけだった、とあかねは思いました。しかしここで悲観しても仕方がないので、出来る限りのことはやってみよう、と思い直し、
「わかりました」
とゆかの瞳を真っ直ぐに見て答えたのでした。ゆかは
「出来うる限り、私たちもお手伝いいたします」
と微笑んで言ってくれました。片付けが終わって戻ってきたさゆりも、笑顔でうなずきました。
それからあかねは湯浴みを済ませ、部屋に戻りました。夕食はいらない、と二人に告げ、部屋に一人になると、昨夜ほとんど眠れなかったせいかすぐに眠気がきて、深い眠りに落ちました。

・・・その頃、王子は。
あかねを社交界デビューさせるための手配をひたすらしていました。
昨日は一睡もしていません。いえ、ここのところずっと、満足に眠ってはいないのです。
原因は、忙しさだけではありませんでした。
なぜなら十分に睡眠が取れなくなったのは、あかねに出会って以降だからです。
要するに“恋わずらい”なのでしょうが、そのようなことを経験したことのない王子にはわかるはずのないことでした。

庭園で出会った娘にあれ以降ずっと会えず、イライラを募らせていた時に飛び込んできた『あの娘がお妃候補になる』という奇跡。王子は慌ててその娘のために部屋からドレスから、全てを即手配したのです。何も不自由をしないように、思い付く限りすべてのものを部屋に用意させ、同じ年くらいの気の優しいお世話役も探しました。そうこうしているうちに『あかねが王宮に来た』という知らせを受け、自室に通していいとは言ったものの、期待と動揺でじっと座ってはいられない状態で、自室の隅から隅へと行ったり来たりを繰り返していました。すると、コンコンとドアがノックされる音が響いたので、王子はびくっとして立ち止まりました。
「・・・どうぞ」
変な声ではなかっただろうかと心配しながらドアの向こうを見つめていると、ゆっくりと扉の片方が開かれ、夢にまでみた人物が入ってきました。

あかねは王子の予想以上に可愛らしく、王子の心をより深く捕らえました。
それなのに・・・。
王子はあかねの言った言葉や態度を思い出して、もう何度ついたかわからない溜息をまたつきました。
「くっそー・・・」
たった一人、想って欲しい相手に想ってもらえない悔しさが募ります。
王子はあかねが自室を去った後、すぐに社交界デビューの話を進めました。
あかねが言った『お妃候補にふさわしくない』理由を、排除するためです。
王家の礼儀作法や貴族のたしなみはこれから学んでいくとして、社交界デビューをしていないというのは、今何とかしておかないと王子は気にしなくてもあかね自身が一生気にしそうだからです。
そして、それを早雲に伝え、早雲があかねのために手配したように見せかけました。
「『王子様にはもっとふさわしい方がいくらでもいらっしゃいます』か・・・。すぐにそんなこと言えないようにしてやる」
そう言いながらも、それが根拠のないセリフだとわかっている王子は、今日もやはり眠れそうにありませんでした。

翌朝、あかねは予定通り7時に起床し、朝食を済ませ、着替えてお化粧をしました。もちろんお化粧は、ゆかとさゆりが喜んでしてくれました。朝のお勉強は、王国の歴史を教える先生、現在の王国情勢・他国の情勢を教える先生などそれぞれ専門の先生がいて、代わる代わるその人たちが丁寧に優しく教えてくれるので、あかねはすっかり勉強することが楽しくなりました。また明日、と今日三人目の王国経済学の先生にご挨拶をしたところで、丁度12時の鐘が鳴り、さゆりが次の場所へ移動するために迎えに来ました。

「さ、あかね様。次はいよいよ、他の姫君様たちとのご昼食の時間です。人づてに聞いた話だと、どの姫君もとてもお美しいけれど、少々棘があるようですので・・・。くれぐれもお気を付け下さいませ」
昼食を食べることになっている場所へ移動しながら、さゆりの心配そうな言葉に、あかねは王宮に来てすぐ出会った三人の姫君たちを思い返しました。確かに・・・三人とも王子のことが大好きで他の姫君たちは邪魔で仕方がない、といった勢いで言い争っていましたので、あかねの存在はどう考えても面白くないはずです。一体どんな仕打ちを受けるのだろう、と少し怖くなりながら、あかねはその場までさゆりの後をついて行きました。

昼食の場所は、昨日休んだテラスよりももっと大きめの、周りが花壇で囲まれているガーデンテラスでした。その中心にある木で出来た丸いテーブルを囲んで、三人の姫君たちはすでに椅子に座っていました。お供の者たちは、少し離れた場所で控えているようです。
「初日から遅れてくるとは・・・一貴族の分際で無礼極まりないですわ」
「この子が四人目のお妃候補、やて」
「冗談じゃないね」
あかねの姿が見えた途端、これです。三人は明らかに、あかねに聞こえるような大きな声で言いました。あかねはぞっとしましたが、表情には出さず、平静な顔で席に着きました。
三人はじろじろと、あかねを見つめます。
「まあ、まだ社交界デビューも終えていないような無作法者なら、相手にするまでもありませんわね」
「余計なものが一つ増えたっちゅーことに変わりはないけどな」
「何人増えても同じね。私が一番可愛い。これ絶対」
口々にあかねに対するライバル心を剥き出しにしつつ、その顔にはどこか余裕があります。皆、自分のことに余程の自信を持っているのでしょう。

尚も何か言おうとした三人の言葉を遮るように、凛とした声が響き渡りました。
「ごきげんよう」
その声を聞いた瞬間、三人の表情ががらりと変わりました。
皆、一斉に同じ方向を向きます。
四人が見た先には、乱馬王子がにこやかな笑みを浮かべ、立っていました。
「乱馬様! わたくしのためにわざわざいらして下さったのですね」
「なに言うか。乱馬は私のためにここに来たね」
「うちのためやと思うけどなぁ」
三人の自分勝手な物言いとは正反対で、あかねは突然のことに言葉を失いましたが、王子は気にする様子もなく四人の側まで来ると、ますますにっこりと笑いました。
「皆さん、それぞれは『初めまして』かな?」
「・・・こちらのお二人は、一昨日少しお見掛けしましたわ。あかね様は『初めまして』です。クノウ王国の黒薔薇と申します。どうぞよろしく」
『よろしく』と言いながらにこりと微笑んだ黒薔薇でしたが、瞳はとてもそうは言いたくなさそうでしたので、あかねは引きつった笑みを返してしまいました。
「うちはクオンジ国の木の実や。こ・の・み。可愛い名前やろ? 覚えたってな」
木の実姫は屈託のない笑顔でしたので、あかねは少しホッとして「はい」と返事しました。
しかし、次の瞬間、場の空気が一変しました。
「私、珊珠。誇り高き女傑国の一人娘ね。お前になど、負けないね」
敵意剥き出しの挨拶に、あかねはおろか、他二人の姫や、王子さえも表情が変わるほどでした。
「乱馬、私のもの。女傑国の女、自分が心に決めた相手、絶対ものにする。誰にも譲らないね」
この発言に、王子が口を開きかけた瞬間、
「何を馬鹿なことを・・・乱馬様はわたくしのものですわ!!」
「何言うてんねん。うちのもんや!」
黒薔薇姫と木の実姫が一斉に反撃したので、その場はあやうく戦闘地域にでもなりそうな勢いでした。慌ててそれぞれのお供の者たちが駆けつけて、姫君たちをなだめました。
「まあまあ、まだほんの挨拶ではござりませぬか」
「そうですぞ、王子もいらっしゃるのです・・・。少し慎んで・・・」
「慎む!? 何を慎む必要があるか!? 本当のことを言って何が悪いね!」
姫君たちのあまりの勢いに、食事できる状態ではなくなったので、今日のところはお開きとなりました。
『明日には食事できるようにいたしますので、また是非いらして下さい』・・・とお供の者たちは口々に王子に取り繕っていましたが、本当に明日落ち着いて食事が出来るのか、誰も自信がありませんでした。

あかねは一旦自室に戻り、ゆっくりと昼食を済ませました。
14時からは貴族としてのたしなみや礼儀作法についてのお勉強で、まずは基本的な挨拶や、歩き方などから習いました。
16時からはワルツのレッスンのため、少し広いホールに移動し、先生を待ちました。
しかし16時を過ぎても先生が来ないので、ホールまで連れてきてくれたゆかが
「もうじきいらっしゃると思いますが・・・あかね様。わたくし見てまいりますので、お一人にしてもよろしいですか?」
心配そうに聞きました。その様子に、あかねは思わず笑ってしまいました。
「子どもじゃないんだから・・・どっちかが必ずついていようとしなくてもいいのに」

ゆかとさゆりは、一日中必ずどちらかはあかねの側にいようとしていました。それがあかねには、よくわかっていました。
「他にもたくさんお仕事があるんでしょう? 今日は初めてのことが多かったけど、明日から一人で移動したり出来るから、無理しなくていいからね?」
あかねの言葉に、ゆかはにっこりと笑って
「・・・はい。でもあかね様。出来るだけお側にいさせて下さいませ。わたくしもさゆりも、あかね様をお慕いしているのですから」
と言い「行ってまいります」とホールを出て行きました。

それからしばらくの間、あかねは一人だったので、窓の方に行って外の風景を眺めながら、昼食時のことを思い出しました。
明日はどうなるんだろうと考えながら、ふと何だか面白くなって笑みがこぼれました。
数日前まで考えてもみなかった世界・・・。その一部に自分がいることが、おかしく思えたのです。他三人の姫があまりにも華やかで個性的なので、自分が本当に目立たない存在としてそこにいることが、今のあかねにとっては救いでもありました。
その時、ホールの扉が開く音がして、あかねはゆっくりと扉が開かれるのをじっと見つめていました。

開かれた扉の先には・・・先程ガーデンテラスでお会いしたばかりの、乱馬王子が立っていました。
あかねがあっけにとられている間に、王子はずかずかとホールに入ってきて、
「ほら。練習、始めるぞ」
と言い、自らの手を差し出しました。
あかねは大きな瞳をますます大きく見開いたまま返事も出来ず、ただ差し出された手をじっと見つめました。
「・・・・・・おい。練習、しないのか? しないなら俺は帰るぞ」
差し出した手を引っ込め、きびすを返した王子に、あかねはやっとの思いで声を出しました。
「・・・あの!」
振り向いた王子は、不機嫌そうに
「なんだよ」
と聞き返しました。
「・・・もしや王子様が、私にワルツを教えて下さるのですか・・・?」
おそるおそる聞いたあかねに対し、王子は呆れた顔で
「なんだ。早雲から聞いてないのか? 社交界デビューにはな、最初に踊る相手が必要なんだよ。お前、他に思い付く相手いるか? 俺がやるしかないだろーが。ま、俺は人に教えられる程度にはワルツもたしなんでいるつもりだ。教える相手が余程不器用でなければ・・・な」
ちらりとあかねを見ながらそう言うので、あかねは思わず目を逸らしてしまいました。

王子が練習相手・・・そんな恐れ多いことをして良いのでしょうか。
少しだけ視線を元に戻すと、王子はあかねをじっと見つめていました。あかねはすぐにまた目を逸らしてしまいましたが、真摯な瞳が目に焼きつきました。あの瞳に見つめられていると思うだけで、あかねは心臓がとび出しそうなくらいドキドキしているのがわかりました。

『ハア・・・』と王子が溜息をついたのが聞こえて、あかねは弾かれた様に顔を上げました。
王子の視線と、自分の視線が真っ直ぐにぶつかりました。
王子はニヤッと笑うと、
「ほら。手、出せよ」
と、もう一度、その手を差し出しました。

また俯いて差し出された手を恐る恐るとると、ぐいっと身体が引き寄せられ、王子の右手があかねの腰に回されました。綺麗な顔がすぐ近くに来て、次の瞬間には王子の顔は自分の耳元にまで近づいていました。耳元で
「いいか? まず基本の形は・・・」
と説明されると、あまりの近さに吐息まで感じられて、あかねは何も考えられなくなりました。一緒に動いている自分の身体も自分のものではないように感じられ、目の前は真っ白でぐるぐる回り、王子の説明も耳に入りません。

練習中、そのドキドキは、決して止むことはありませんでした。



   “こたえはきっと心の中に すべてはずっと左の胸に
    しまわれているのだろう”

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四人での食事シーン・・・いつもの取り合い。
でもあかねちゃんが反論せず静かだからちょっと違う?
挿絵を描いてくれたかえるんに、大感謝!!
乱馬王子の視線、あかねちゃんの照れた表情、服装、背景・・・どれをとっても最高です☆