不機嫌な王子様

3.社交界デビュー(1)

あかねはそれまで黙っていた王子の発した言葉があまりにも冷たかったので、大きなショックを受けました。
自分のような身分の者が、仮にも国王や王子が決めたことに物申すなど、なんと恐れ多いことをしてしまったのでしょう。
『それによって、あんなにも王子を怒らせてしまった』

あかねはあのあと、今後はずっと王宮で暮らすことを知りました。
『お妃候補』として、様々な教育・・・いえ、本当にお妃にふさわしいのは誰かというテストのようなことを毎日受けながら暮らすのです。
あかねは、憧れていた王子からの冷たい言葉と、これから始まる日々を何度も想像して、その辛さに用意された自室で泣きました。
『せめてお姉さまたちに、お別れぐらい言いたかった・・・』
涙が次々と頬を伝って落ちます。あかねはその日、食事もとらず、部屋から一歩も出ませんでした。

翌朝、泣き疲れて眠ってしまったあかねは、ドアがコンコンと鳴らされる音で目が覚めました。
「はい・・・」
小さく返事をすると、
「おはようございます。あかね様」
ドアの向こうから、女性の声が聞こえました。
声に反応して、あかねは少し体を起こし
「おはよう、ございます・・・」
と目をこすりながら言いました。すると今度は違う女性の声で
「おはようございます。朝食のご用意が出来ております。今すぐにお運びしてもよろしいですか?」
と言葉が続きました。あかねは一瞬何のことかわからず、次の瞬間、昨日の出来事が一度に頭の中によみがえりました。
「・・・・・・」
今自分はさぞかし泣き腫らしたひどい顔をしているだろうし、昨日着ていたピンクのドレスはしわが寄ってくしゃくしゃです。あかねが返事に困っていると、もう一度、
「あかね様?」
と呼び掛ける声がし、数秒後「失礼します」と言う声と共にガチャリとドアが開かれ、あかねと同じ年くらいの若い娘が二人、中へ入ってきました。
ベッドの上にちょこんと座っているあかねを見て、まず長い髪を一つに結わえた娘が、
「はじめまして、あかね様。わたくしはあかね様のお世話役を仰せつかりました、さゆりと申します。あかね様の身の回りで何かご不自由なことがありましたら、いつでもわたくしどもをお呼び下さい」
と深く頭を下げて一礼しました。続けて、髪の短い方の娘が
「はじめまして、あかね様。同じく、あかね様のお世話役を仰せつかりました、ゆかと申します。以後、御用の節は何なりとわたくしどもにお申し付け下さい」
と同じように一礼しました。

あかねは、なんと返事してよいのかわからず、ただ二人を見つめていました。すると、ゆかがあかねの今の気持ちを全て察したかのように、静かな笑顔で
「あかね様。お食事と湯浴み、どちらを先になさいますか?」
と聞きました。言われて、あかねは昨日湯浴みをしていなかったことを思い出し、その心遣いを嬉しく思いました。あかねは少し考えてから、
「もう食事を持ってきてくれているのでしょう? ではお食事からいただきます。その後・・・湯浴みをさせてもらえると嬉しいです」
と言いました。

「承知いたしました」というゆかの声と共に、さゆりが一度部屋から出たかと思うと、すぐに朝食を乗せたワゴンを押しながら戻ってきました。さゆりはワゴンをベッドのすぐ近くでとめ、ゆかがあかねの膝上あたりに簡易机のようなものを設置し、その上に銀色の立派なトレーを置きました。
「お済みになりましたらいつでもこれでお呼び下さい」
と二人は一礼して出ていきました。さゆりが示したトレーの隅には、金色に光る可愛らしい呼び鈴がありました。食事を済ませたらこれを鳴らせばよいのでしょう。
目の前に置かれたトレーの中の豪華な朝食をまじまじと見つめると、温かそうなパン、湯気を立てているコーンスープ、彩りの良いサラダ、果物・・・真ん中のお皿にはソーセージやスクランブルエッグが綺麗に盛り付けられており、おそろいの模様がついたティーポットとティーカップもトレーの端に置いてありました。

あかねはしばらくそのままぼんやりと眺めていましたが、やがてコーンスープのカップを手に取り、そっと口に運びました。
温かいスープが喉を通って胃の中に入っていきます。
もう一口飲むと、身体と共に、少しだけ心の中も温まっていく気がしました。

あかねは結局、スープとパンにだけ手をつけると、ベッドから出てトレーをワゴンの上に乗せました。ワゴンを押していき、部屋の扉を開けて外に出ると、音を聞きつけたのかすぐに二人が別の扉から出て近づいてきました。
「あかね様。このようなことはわたくしどもにお任せ下さい」
そう言われても、人に頼み慣れていないあかねは気の引ける思いがしました。
家では、一応使用人は何人かいるものの、毎日の家事など身の回りのことは一番上の姉が自ら進んでしていましたので、あかねもお手伝いしたりすることが多く、人に頼むよりは自分でした方がよい気がしました。
「別に、これぐらいのことは自分で・・・」
言いかけたあかねを、さゆりが遮りました。
「お気持ちはわかりますが、あかね様にそのようなことをさせたと知られれば、わたくしたちがお咎めを受けます」
「あかね様には何一つ不自由のなきようにと、国王様から申し付けられているのです。ですからあかね様はどうぞご遠慮なく、わたくしどもに御用をお申し付け下さい」
さゆりの言葉に、ゆかも続けました。そう言われては、あかねは何も言い返せません。
「・・・わかりました」
とだけ伝えると、小さな溜息を漏らしました。ゆかとさゆりにはあかねの気持ちが十分伝わっているようで、二人はあかねを優しく見つめるとやんわりと話を切り替えました。
「さ、あかね様。湯浴みの準備が整っております。こちらへおいで下さい」

あかねの部屋からほんの少し歩いたところに、その場所はありました。
ゆかとさゆりが服を脱ぐのを手伝おうとしましたが、さすがにそれはきっぱりと拒否しました。「何かありましたらすぐにお知らせ下さい」とだけ言い、二人が出て行った後、サッと服を脱ぐとあかねは浴室への扉を開けました。
「・・・・・・」
あかねはまた絶句してしまいました。淡いクリーム色を基調としたその浴室は、一人で使うのにはあまりに広く、華美ではありませんが十分すぎるほど豪華です。あかねはあと何度こういう思いをするのだろうと大きな溜息をついてから、広すぎる浴槽に一人身体を沈めました。

辺りを見回すと、色とりどりの美しい花々が所狭しと飾られており、丸い浴槽の奥ではライオンのような動物の口から絶え間なくお湯が注がれていました。
こうしていると、まるで本物のお姫様のようです。しかしあかねはそれを楽しむ気分にはなれず、少しすると湯浴みを終えました。
あかねが浴室にいる間に、当然ながら先程脱いだ服の着替えが一式用意されており、あかねはまた申し訳ない気持ちになりながらその服に袖を通しました。
先程まで着ていたものより更に淡いピンクのドレスでした。フリルやレースが嫌味なくついた女の子らしいデザインで、あかねは素直にそのドレスをとても可愛いと思いました。

着替えが済むと、あかねは二人と共に部屋へ戻りました。
そして、部屋の中にあるものの説明を受けました。
あかねは昨日ベッド以外のものを全く使わなかったので、ほとんどが初めて目にするものばかりでした。この部屋には、生活するために必要な物は食品以外何でもそろっていました。クローゼットの中には、今まで見たこともないほどの数のドレスが入っていましたし、
洗面所もトイレもあり、ドレッサーには化粧道具も一式ありました。
「他に必要な物はございませんか。あるのならばなんなりとお申し付け下さい」
一通りの説明を終え、ゆかにそう聞かれましたが、あかねは何も答えられませんでした。
こんなに物が溢れている部屋の中で、他に何が必要というのでしょう。いえ、むしろ本当は、こんなもの全ていらないから家に帰してほしいと言いたかったほどですが、自分の今の立場を、そして父である早雲の立場を考えるととても言えませんでしたし、ゆかとさゆりはあかねに対してとても丁寧に、優しく接してくれるので、少しは心が安らいでいました。
「大丈夫です。・・・ありがとう」
あかねがそう言うと、二人はにっこり笑って「とんでもございません」と返しました。

「さ、あかね様。先程騎士団長様がお呼びでした。準備が整い次第、騎士団長様の書斎まで来るようにとのことです。お化粧を施しますから、こちらへお掛け下さい」
さゆりがそう言って、ドレッサーの椅子を引きました。あかねは少しためらいましたが、素直に椅子に腰掛けました。目をつぶると、早速二人はお化粧を始め、10分後には
「終わりましたわ。今日はパーティなど公の場には行く予定がございませんから、全て薄付けですけれども・・・。とてもお美しいです」
「本当に・・・。この指に吸い付くような白い肌、長いまつげ・・・。あかね様のお美しさは噂には聞いていましたけれど、ここまでとは・・・本当に驚くほどお可愛らしい」
と二人がはしゃぐ声が聞こえました。あかねがゆっくりと目を開けると・・・そこには、普段お化粧をしていなかったので薄付けとはいえ見慣れない自分の顔がありました。
「あ、ありがとう、二人とも」
あかねが少し微笑んでそう言うと、二人とも「いいえ!」と顔をほころばせて言い、二人できゃいきゃいとあかねの美しさについてまだ語り足りないというように競って話をしていました。あかねはこの二人の様子を見て、思わず一緒に笑ってしまいました。

そうして少しだけ朗らかな時間を過ごした後、あかねは早雲の待つ彼の書斎へと移動しました。
騎士団長は、王宮にいる間は騎士団の訓練所等にいることが多いのでしょうが、今日は少し時間があるようです。
あかねが彼の書斎の扉をコンコンと二回ノックすると「あかねか? 入りなさい」という聞き慣れた声がし、あかねはすぐさまその扉を大きく開いて中に入りました。

早雲は座っていた椅子を離れると、あかねの側まで来て、手をとりました。
「あかね・・・。突然のことでさぞや驚いたろう。あかねには申し訳ないとも思ったが・・・国王様直々のご指名で、断れなくてな・・・。それに、乱馬王子は、美男子だし、頭も良いし剣術も得意だ。優しく、自分の意志をしっかり持っておられ、人望も厚い。誰の目から見ても非の打ち所のない方だ。私は王子がお前を気に入ってくれるならお前にとってこれ以上良き相手はいないと思うし、お前も王子のことをきっと気に入るはず・・・」
そこまで言って、早雲は愛娘の顔が今にも泣き出しそうなほど曇っていることに気が付きました。
「ど、どうした・・・。まさかもう何か嫌なことでもあったのか?」
そのまさかです、とは言えずに、あかねはただ黙っていました。
今お父様が褒め称えたその王子様から、もう嫌われてしまいました。冷たい言葉をいただきました・・・。そう言ったら早雲はどんな顔をするでしょう。この馬鹿娘が、と非難されるのでしょうか。

必死に涙をこらえる娘を見て、早雲はそれ以上何も聞きませんでした。
ただ、娘の頭をよしよし、と優しく撫でました。
あかねは懸命に涙をこらえ、やがて顔を上げると、凛とした表情で早雲に話し掛けました。
「それでお父様。私を呼び出した理由は何ですか? まさか、ただ娘の顔が見たかっただけ、などとは言わないでしょう? 公務中のこの忙しい時間に」
「そのまさか、だよーん」
おどけてみせた早雲を、あかねはじろりと睨みました。
「そんなに睨まなくても・・・あかねちゃん、怖いんだからぁ」
尚もおどける早雲にあかねははあ、と溜息をつきました。しかし、朝からずっとついていた溜息とは、全く違いました。こうして自分の気持ちを和らげようとしてくれる父が、あかねは大好きでした。

なごやかになった雰囲気の中で、早雲は慎重に言葉を選びながら、あかねに話を切り出しました。
「実はね・・・。次の『青い花の舞踏会』で、お前を社交界デビューさせようと思うんだよ」
「・・・・・・!」
あかねにとっては、これまた全く予想もしていない話でした。

社交界デビューというのは、毎年16歳を迎える良家の子女が『青い花の舞踏会』と呼ばれる舞踏会に参加することを機に、一人前のレディとして社交界へデビューすることです。

王宮では国家の公式の行事として、各国の来賓を招いての外交的にも重要な舞踏会がよく開かれていましたが、その他にも、そこまで堅苦しくなく、でも毎年の恒例行事となっている舞踏会がいくつもありました。それらの舞踏会にはそれぞれ名称がついており、例えば『金色の月の舞踏会』『芳醇な葡萄の舞踏会』『雪の女王の舞踏会』などがありました。『青い花の舞踏会』もそういった舞踏会の一つで、初夏の名物となっている一際有名な舞踏会でした。

この『青い花の舞踏会』は、その年社交界へデビューする貴族の令嬢たちの、お披露目の場となっていました。その際、貴族の令嬢たちのドレスや髪飾りなど装飾品のどこかに、青い色をあしらうのが決まりごととなっていたため、こう呼ばれるようになったのです。
まさに蕾から花開く一瞬の時を、貴族たちの令嬢が咲き競う、皆の注目の舞踏会でもありました。
その舞踏会で、最も見目麗しき令嬢は誰だったかが巷でニュースとなり、貴族社会に限らず、広く王国中の話題をさらうため、その年社交界デビューする令嬢を持つ家では密かにしのぎを削り、入念な準備を重ね、中には裏に手を回してまで『青い花の舞踏会』の女王の座を獲得すべく躍起になりました。

しかし、あかねは昨年16歳になったので、参加するのなら昨年参加しなければなりませんでした。それをあえてあかねは、いえ、上二人の姉たちも、参加しなくていいと思っていたので見送ってきたのです。それなのに今年参加するとなると、口うるさい貴族たちが黙っていないはずです。

「で、でもお父様・・・。私はもう社交界デビューする年を過ぎています。そのようなことは不可能なのでは・・・」
「いや、そのことについては私に考えがある。まあ、自分の娘が一番可愛いと思っている貴族たちからは相当の非難をくらうかもしれんが・・・お前のためなら何とかしてみせよう」
きっぱりと言う早雲を前に、あかねはひどく動揺していました。
何故突然このような話を早雲が思い付いたのかが不思議でなりませんでした。
しかも「次の『青い花の舞踏会』で・・・」と早雲は言いましたが、今年の『青い花の舞踏会』までは、あと1ヶ月もありません。舞踏会にはワルツが付き物ですが、あかねはワルツなど踊ったことがありませんし、最初に踊る相手も必要ですがもちろんいません。

「どうして、そのようなことを急に・・・?」
あかねが困惑したままそう聞くと、早雲は
「お前、『お妃候補』になったことで、急に社交界デビューをしていなかったことを悔やみはしなかったかい?」
と優しく言いました。
言われてみるとその通りでした。昨日、自分から王子にも言ったように、あかねは自分でも気付かないうちにそのことを気にし始めていたのです。
「・・・・・・」
あかねの表情を見て、早雲は「やはりな・・・」と呟きました。
「とにかく、お前は何も心配しなくていい。手配は全てこちらで済ませるから・・・」
早雲の言葉を遮って、あかねは尚も反論しました。
「でも・・・『青い花の舞踏会』までは、あと1ヶ月もないのですよ? 私はワルツなんか踊ったことがありませんし・・・とても社交界デビュー出来るような淑女にはなれません」
不安そうな表情の娘に、早雲はもう一度彼女の頭を撫でて
「大丈夫。お前はきっと素敵なレディーになれるよ」
と言いました。あかねは、自分ではとてもそうは思えませんでしたが、
「・・・わかりました。お父様に恥をかかせぬよう、精一杯努力します。あの・・・ワルツだけは、すぐにでもどなたか先生をお付け下さいね?」
そう言いながら、はにかんで少し微笑みました。早雲は、この子が娘で良かった、と改めて実感したのでした。

あかねが書斎を出て行ってから、早雲は自分の椅子に再び戻ると、座ってゆっくりと息を吐きました。
「王子がおっしゃった通りだった。一度会っただけでそこまで気に掛けて下さるとは・・・どうやら王子は我が娘を大いに気に入って下さったらしい。それにしても・・・、自分が全て手配したということは、あかねには絶対に言うな・・・か」
早雲は誰もいなくなった部屋で、くすりと笑ってそう呟きました。

   “君がいるから 僕がいるから 世界は変わる
    君がいるなら 僕がいるなら 世界は狂ってく”

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「社交界デビュー」・・・あくまでこの国ならではの、です。
早雲さんとあかねちゃんの掛け合いがお気に入り。