不機嫌な王子様

2.不機嫌になった王子様

王子の一言が決定打となり、すぐに騎士団長の末娘・あかねに、即刻王宮へ来るよう使いが出されました。

当然、呼び出されたあかね本人はとても驚きました。
王宮からの使いの者がうちへ来て、「今すぐお城へ来い」と言うのです。
何故かと聞いても、それはお城に着いてから、としか答えてくれません。
訝しげな表情を見せるあかねに、悪い話ではないからとにかく一刻も早くお城へ、と言いながらも使いの者はあかねを用意してきた馬車に乗せようと必死です。その様子を見てあかねは一人馬車に乗り込んだものの、ひたすら首を傾げていました。

思い当たることは、一つあります。
あかねは数日前、父と姉二人に連れられて、初めて王宮内に足を踏み入れました。
貴族の血を引いているとはいえ城下内で育ったあかねは社交界デビューをしていなかったので、国王と王妃に騎士団長の娘として初めて挨拶に出向いたのですが、そこで父・姉とはぐれ道に迷ってしまいました。

うろうろするのは良くないとわかっていながらも、父と姉を捜すため広い王宮内をひたすら歩き回り、あかねは一つの小さな庭園にたどり着きました。
白い花が咲き誇るその庭園にあかねは強く心惹かれ、中に入って行きました。

中にあった白いベンチに疲れた足を癒すため少しだけ腰掛けると、不思議と不安な気持ちが落ち着きました。初めての王宮、しかも今から国王と王妃に挨拶に伺わなければならないのに、道に迷っていたので挨拶が遅れましたなどと言い訳できるはずがありません。自分だけならまだしも、父や姉にも迷惑がかかるとあかねは必死で歩き回りましたが、広すぎる王宮はあかねにとって迷路も同じで、時間が経つほど目には涙が溢れそうになってきていました。そんな気持ちを、この庭園は癒してくれました。
落ち着いて、もう一度来た道を引き返そう。

そう考えていたあかねは、いつの間にか深い眠りへと堕ちており、次に目が覚めたときには姉二人の顔がすぐ近くにありました。
姉二人は、あかねを大層心配しており、随分王宮の奥まで来てしまったことを教えてくれました。

あかねは何故自分が眠ってしまったのか、自分でもよくわかりませんでしたが、夢の中に王子様が出てきて自分にキスをしてくれ、とても幸せだったことを覚えています。目を覚ましてすぐ、自分のしでかした現実になんて甘い夢を見ていたんだろうと罪の意識を感じながらも。
夢の中に出てきた王子様がこの国の乱馬王子かどうかは王子様にお会いしたことのないあかねにはわかりませんでしたし、もちろんそんな夢のような話があるわけがないのだけれど、いつも噂に聞く我が国きっての素敵な男性である王子様に、あかねも多少憧れてはいました。

改めて挨拶に伺おうとしたあかねたちでしたが、国王はその日公務が重なっており、時間が過ぎて結局なされないままになってしまったのです。

『私が呼び出される理由は、それしかない』
あかねはどんなお叱りを受けるのかとびくびくしながら、いえ自分にはどんなお咎めがあっても構わないけれど、父や姉にも何かお咎めがあったらと思うと怖くて仕方ありませんでした。


開かれた重苦しい城門を通り抜け、馬車はまっすぐ進み、宮殿に入る扉の前の広場で停まりました。
使いの者に手を引かれゆっくりと馬車を降りたあかねは、まっすぐどこかへと連れて行かれます。
やがて廊下が幾方向にも分かれている、少し開けた場所にたどり着きました。
「ここで少しお待ちください」
使いの者は、そう言うとあかねの側を離れ何処かへ行ってしまいました。
見知らぬ場所で一人になってしまったあかねは、どうしていいかわからず、辺りをきょろきょろと見回しました。

すると、どこからか声がします。
少しずつ近づいてくるその声は、とても甲高いので廊下中に響きわたっていました。
「ああ、麗しいわたくしの乱馬さま。あのように素敵な男性をわたくしは今まで見たことがありませんでしたわ。ねえ佐助。乱馬さまはわたくしのもの。あのような下賤の輩にわたくしが負けるはずありませんわ」
「黒薔薇(くろばら)さま、そのように大きな声で・・・他の姫君たちに聞かれてしまいまするぞ」
「聞こえるように言っているのですわ! おーっほっほっほっほっ」
黒薔薇さまと呼ばれたその姫は、色白な肌にフリルがたくさん付いた黒のドレスを纏い、少々きつめの目は、上の方で一つに結わえた漆黒に輝く長い髪と同じ色をしていました。
すると、
「今のは聞き捨てならないね」
「そうや。どういう意味か、説明しいや」
別の方向からそれぞれお供をつけた姫君たちが、すごい剣幕でやってきて詰め寄りました。
しかし、黒薔薇姫は全く動じていません。
「どうもなにも・・・言葉通りの意味ですわ」
「うちのどこが下賤なんや! こっちの姫さんはともかく・・・」
「なにを言うか! それはこっちの台詞ね!!」
「落ち着いて下され、珊珠(さんじゅ)様」
おろおろするお供の者たちの中でも一番年配の者が諭すように言いました。しかし珊珠と呼ばれた姫はその言葉が耳に入っていません。深い海のような青い瞳をまっすぐに他の二人の姫に向け、睨みつけています。紫色の長い髪は腰より下まであり、黄色のドレスをさらに美しく飾っていました。
一方、もう一人の姫は、くっきりとした目鼻だちにこげ茶色の髪で、これまた長い髪をおろしていました。薄紫のドレスに身を包み、深緑の瞳で他の二人の姫を睨んでいます。
この姫は、お供の者たちから『木の実(このみ)姫』と呼ばれていました。
三人は、あかねのことなど全く目に入っていないらしく、あかねの目の前で言い争いを始めてしまいました。

あかねはこの光景にしばし唖然としていましたが、落ち着いてお姫様たち一人一人をじっと見ると、どの姫もとても美しく、気品もあります。そして何よりも、王子を心から愛しているようです。
あかねは、さすがは王子様、と思いました。
このように美しい姫君たちから一度に好かれてうれしくないはずがありません。
これが現実だと、あかねはあのような夢を見た自分が恥ずかしくなり、深いため息をつきました。それよりも、自分にはお咎めが待っているのです。
改めてそれを覚悟した時、使いの者が戻ってきました。

「お待たせして申し訳ありませんでした。さ、参りましょう」
あかねは思わず聞き返しました。
「ど、どこへ・・・?」
「王子様のお部屋です。普段王子様のお部屋にはほとんど人を入れないのですが、先程お伺いしたところお通ししてよいとの事でしたので」
それを聞いて、あかねの頭には一つの疑問が浮かびました。
どうして、王子様のお部屋に通されるのでしょう。
お咎めは国王から受けるはず・・・それなのに、何故王子なのでしょうか。
国王は忙しくて自分なぞに会っている暇はなく、代わりに王子が処罰することになったのか、もしくは聡明な王子自身が国王との謁見の時間すら守れない不逞の輩に腹を立てているか・・・。

そこまで考えて、そういえば馬車に乗る前に使いの者が「呼び出された理由はお城に着いてから」と言っていたのを思い出し、あかねはもう一度尋ねました。
「あの、私がお城に呼ばれた理由は・・・」
「ああ、そうでした。申し訳ございません」
そう言うと使いの者は、とても一人用の部屋とは思えないほど大きな両開きの扉の前で立ち止まり、話し始めました。

「あかね様。あなたは、乱馬王子の正式なお妃候補となられたのです」
「・・・はっ?」
あまりにも突拍子のない話に、あかねは思わず素っ頓狂な声を上げてしまいました。
「乱馬王子のお妃候補として隣国から姫君たちが来られたのは、国中の噂となりましたから当然ご存知ですね? ですが王国の中には、やはりこの国から王妃を、と願う者も少なくなく、こうしてあかね様がお妃候補となられたのです」
「ど、どうして私が・・・。私は貴族としては・・・」
「わたくしも詳しいことは存じませんが、国王様と騎士団長様がお決めになられたようです。わたくしは早雲様からあかね様をすぐ王宮に連れてくるようにと命を受けましたので」
「お父様・・・?」
あかねは国王と騎士団長である父が旧知の仲であることを知っていました。
そのことから推察すると、在り得ない話ではありません。
呼ばれた理由が自分が想像していたこととは全く違い、あかねは少しホッとしましたし、使いの者が「悪い話ではない」と言っていたのもこういうことだったのかと納得しました。

しかし、それにしてもいきなり『お妃候補』とは・・・。あかねは社交界デビューもしていないほどですから、貴族としてのたしなみにあまり自信がありません。それが突然『お妃候補』だなんて、知識も教養もない自分に、たとえ候補でも務まるとは到底思えません。
また、先程三人の姫を偶然にも見てしまったことも、あかねの気持ちをますます暗くさせました。あれほど美しく、気品があり、姫としての教養も知識も十分にあるであろう三人の姫が候補ならば、自分がその中に入ってもお妃の座を争うどころか鼻にもかけられないことは一目瞭然です。三人だけで十分なのではないか、もしくはこの国のきちんと王宮で教育を受けてきた娘をこの国の候補にするか・・・どちらにしても、あかねは、自分は『お妃候補』という立場にふさわしくないと、強く思いました。

あかねはまた、使いの者に疑問を投げかけました。
「お父様が呼んだのなら、何故私は王子様のお部屋に・・・?」
「先程までは三人の姫君たちとの謁見の為、皆様ご一緒におられたのですが、皆様次のご予定もご公務もございましたので、わたくしがあかね様をお連れしている間にその時間をおしまいにされたようです。それで、あかね様をどちらにお連れするかお聞きしたところ、王子様のお部屋にとのことでしたので・・・」

「王子様のお部屋はこちらです」使いの者はそう言って目の前の扉を指すと、一礼して立ち去りました。

一人になったあかねは、突然の話に戸惑い、しばらくその場に立ち尽くしていました。
しかしやがて深く一度深呼吸すると、意を決してコンコンと軽く二回扉をノックしました。
すると「どうぞ」という声が中から聞こえました。
とても穏やかで、優しい声です。
あかねは少し安心して、両手で片方の扉を開きました。
一歩中に入ると、重いその扉はあかねの後ろで静かに閉まりました。
見渡すほど広いその部屋の、バルコニーに通じる南側の窓の前に、その人は立っていました。

端正な顔立ちがこちらを見つめています。真っ黒な瞳には意志の強さがうかがえる光が輝き、同じく真っ黒な長い髪は一つに結わえていました。鍛えられた細身の身体は適度に引き締まっており、王子の正装をしていてもそれがよくわかりました。
夢で見た王子様は、顔はわかりませんが雰囲気のとても柔らかい方で、まさに今目の前にいらっしゃる方のような、そんな気がしました。
あかねは一瞬この王子様を見つめてしまいましたが、すぐに跪いて頭を垂れました。
「顔を上げて」
その言葉に反応して、あかねは少し顔を上げました。

王子の予想通り、いえ、それ以上にあかねの目を開いた姿は美しく、王子は深い感嘆の息をもらしました。美しい茶色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめています。それだけで王子は軽い眩暈を起こしそうになりました。夢にまで見たあかねを目の前に、ただでさえ言葉が見つからないのに、顔を見て王子はさらに何も言えなくなってしまいました。
しばしの沈黙後、王子はゆっくりと口を開きました。
「使いの者から、大体の話は・・・」
「はい、お聞きしました」
澄んだ、とても可愛らしい声です。それでいて、どこか意志の強さを感じさせました。

王子は、次にあかねがどんな言葉を発するか、ドキドキしながら見つめていました。
しかし、あかねが言ったことは、一瞬で王子の心を凍りつかせたのです。
「ですが、わたくしには、お妃候補などとても務まりません」
少し、いえかなり目を見開いた王子の様子には気付かず、あかねは続けます。
「わたくしは社交界デビューすらしていない身。生まれて16年間、ずっと城下に住んでおりまして、王宮に参りましたのはこれが二度目です。貴族としてのたしなみ、知識、教養、どれも欠けております。たとえ一時でも、わたくしのように下賎な者を候補にされては王子様の経歴にも傷が付いてしまうと思われます」
あかねは言えば言うほど自分が情けなくなり、言いながら王子の顔が見れなくなってうつむきました。

王子にとって、あかねがつらつらと述べたことは全てさしたる問題ではありませんでした。それに、王子の目にはどう考えてもあかねが『知識も教養も気品もない浅はかな女』には見えませんでした。しかしこれだけ理由を述べて『お妃候補』を拒否されると、王子は、自分自身を真っ向から否定されたような気分になりました。

尚もあかねは、
「王子様にはもっとふさわしい方がいくらでもいらっしゃいます」
と言葉を続け、そう言ったきり、うつむいたまま押し黙ってしまいました。

当然ながら、王子はその様子にどうしようもない苛立ちを感じていました。
今まで、どんなことでも努力を惜しまず、勉強も、退屈な貴族たちとの付き合いにも嫌な顔一つ見せず、只々王子としての公務に励んできたというのに、何故一番手に入れたいものはこうして手に入らないのでしょう。

『手に入らないのならば、無理矢理手の中に収めてやる』

王子の心の中に、初めて人の気持ちを無視しても自分の思いを貫こうとする気持ちが芽生えました。

「おめーに断る権利があんのかよ? ・・・あるわけねーだろ」
王子は自分でもびっくりするほど低い声を出していました。言葉使いも、どこから出てきたのかわからないほどひどい言葉でした。
どんな相手に対しても、そんな風に対応したことは今まで一度もありませんでした。

あかねは一瞬身体をビクッとさせると、
「・・・申し訳ございません・・・」
と小さな声で呟きました。
「謹んで、お受けいたします」
頭を下げたままそう言ったあかねの頬に涙が伝っていたのを、王子は知りませんでした。

   “偶然じゃない出逢いは宿命(カルマ) 導かれゆくままに
    痛いくらいのリアルな時間(とき)のなかで・・・”

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三人の姫の特徴(髪や瞳の色)は、原作・アニメ等で違いがあるので、今回は『桃幻郷』ベース。名前の由来・・・黒薔薇姫→まんま、珊珠姫→珊璞(シャンプー)から、木の実姫→「お好み焼き」。後ろに「姫」と付けた時に呼びやすいようにもじりました。