不機嫌な王子様

11.閑雅なる休日(後編)

降り注ぐ夏の日差しの中、二人は“藤葛(ふじかずら)の森”を目指して走り始めました。

王子は、真横を駆けるあかねに、驚きを隠せませんでした。
『馬乗りは慣れている』そう聞いたものの、馬の大きな体躯をかよわい女性が上手く扱えるとは思えませんでしたし、実際そのような姿を見たこともありませんでした。

しかし、あかねは、その細い身体でとても上手く乗っています。
背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐに前を見た美しい姿勢。柔軟な手綱さばき。無駄な力はどこにも入っておらず、本当に慣れているのがよく分かります。

『女性に、馬に乗る習慣はない』この国で『あかねが馬乗りに慣れている』ことは、王子に多少の疑問を感じさせました。
しかし、父親である騎士団長・早雲の人となりを考えると、有り得ないことではないと思えるのでした。早雲は、常識やしきたりで人を縛る人間ではないからです。

それに・・・王子はこんなに生き生きとしたあかねを見るのは初めてでした。ワルツを覚えるのに必死な顔や泣き顔は見てきましたが、陽の光を浴びて笑顔で駆けるあかねの姿は本当に美しく、ずっと見ていたいと思いました。

しかし王子の気持ちとは裏腹に、彼の予想よりもずっと早く、目的地である森の中の泉に着きました。
そこは、木陰ですが木々の隙間から明るい光が差し込み、涼しい風が吹き抜ける、まさに絶好の避暑地です。

二人は、泉のほとりで馬たちを休ませながら、適当な場所に腰掛けました。

さやさやと、木が風に揺れる音がします。鳥のさえずる声も聞こえます。
少し離れて座った相手をお互いに意識しながらも、自分からは話しかけることが出来ず、森の清らかな音をただ静かにしばらく聞いていた二人でしたが、その沈黙を破ったのは王子でした。

「・・・元気にしていたか?」
特務隊長・良牙から『最近持ち前の明るさを取り戻した』と聞いた王子は、舞踏会の夜に見たあの泣き顔をまた思い出し、苦しくなる胸を隠して問い掛けました。

「はい」
あかねは、出来る限り笑顔で答えました。
目の前に、王子がいる。
自分を気にしてくれている。
それだけで、夢のような瞬間でした。
舞踏会の夜、ワルツを踊って以来の再会。
あかねは、ずっと王子に伝えたかったことを言葉にするため、口を開きました。
「乱馬」

呼ばれて、王子はドキッとしました。
あかねが自分の名を紡いだことが嬉しくて、その声が愛らしくて、聞き惚れてしまいました。

そんな王子の様子には気付かず、あかねは続けます。
「ありがとう」
「?」
「ワルツ、教えてくれて。乱馬のおかげで、どうにか踊りきることが出来たの。お父様も、立派なレディになったととても褒めて下さったわ」

あの日のことを話していると、どうしても王子が貴族たちに言っていた言葉が思い出され、胸の痛みをこらえながらもあかねは笑顔で話しました。
理由はどうあれ、王子があかねにワルツを教えてくれたことは事実で、そのかけがえのない時間はあかねにとって王子との唯一の宝物だったからです。

「ああ。いや・・・うん。そうだ、具合はもういいのかよ? あん時ホントしんどそうだったけど」
あかねの素直で真っ直ぐな言葉になんと返していいのか分からず、王子は目を逸らしながら問いました。
「うん。もうすっかり。乱馬、知ってたの? 私が具合悪いって」
自分が倒れた際、運んでくれたのが王子だと知らないあかねは、もしかしたら自分が体調を崩して寝込んでいたこと自体を知らないのではないかと思っていたので、その発言は意外でした。

「そりゃあお前、あんな顔して壁際に立ってりゃあな、分からねえ方が不思議だろ。手もめちゃくちゃ熱かったしな」

まじまじと自身の手を見ながら言った王子。その様子を見てあかねは、あの長く骨ばった指が自分の手や腰に回されていたのかと思うと、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなりました。
王子を好きだと自覚してしまった今、もう一度同じように踊れと言われても、とても出来そうにありませんでした。

両手で顔を押さえて照れるあかねを見て、王子も自分の言ったことを自覚し、慌てて話題を変えました。

「ほっ・・・他のお妃候補方との交流はどうなんだ?」
「ああ、あはは・・・。うーん、大分睨み合いにも負けずに参加出来るようになってきたような・・・」
「そうなのか? そりゃすげえ。あの姫たちと対等に渡り歩くって・・・俺、無理」
「参加っていうか嫌みを受け流せるようになっただけだけど」
二人はあの強烈な姫たちを思い浮かべ、顔を見合わせて笑い合いました。

「あの・・・女なのに馬乗りに慣れてるなんて、変に思った・・・よね?」
和やかな雰囲気の中、あかねは不安に思っていたことを思わず口にしました。
王子はすんなりと自分に馬を貸し、ここまで何も言われずにきたけれど、やはりそのことをどう思ったか気になっていたからです。
「いや? なんで慣れてるのかは気になるけど、乗ること自体は別にいいんじゃねー? 下手な男共よりよっぽど様になってたしな」
あっさり答えた王子に、あかねはほっと胸を撫で下ろしました。やはり王子は、男とか女とか、そういう区別をしない人なのだと、改めて敬愛の念を抱きました。

「うちね、お母様がいないの。私が小さいときに亡くなって・・・。当時、見る影もなく落ち込んだ父と、姉二人を見て、私が強くならなきゃって思った。騎士団長の真似事なんかして、武道に乗馬に、励んできたんだ」

王子はあかねの話を神妙な面持ちで聞いています。

「もちろん、優しいお父様は最初そんな私の行動を無理しなくていいって止めてくれたけど、私が好きでやってるんだって、こういうのが私には似合ってるんだってことが分かったら、逆にいろいろと教えてくれるようになったの。お姉ちゃんたちも、それを温かく見守ってくれた」
「・・・なるほどな」

あかねが馬乗りに慣れていた理由に納得しつつ、同時に何故あかねがこんなにも純粋に育ったのかを王子は知った気がしました。彼女を支えてきた温かな家族の存在。少しだけ彼女の本心にも触れられた気がして、嬉しくなりました。

「・・・乱馬は? きっと幼い頃からその才を発揮していたんでしょうね」
遠くを見つめてその姿を思い描くようにするあかねに対して、王子は自らを語り始めました。

「俺は・・・この国の王位継承者として、生まれた時からそのための教育を受けてきたからな。まあ、誰でも一通りはこなせるようになるだろ」
「そんなこと・・・貴方じゃなければ出来なかったことが、きっとたくさんあるわ。王国剣術大会を史上最年少で優勝し、それ以降未だ無敗だって聞いたし、王国博士号もずっと昔にとったって。本当に王子は優秀だって、どの先生方も口を揃えておっしゃるもの」

「優秀ねえ・・・ま、何でもそつなくこなしてきたことは間違いねえが。・・・・・・」
何かを言いかけてやめたような雰囲気に、あかねは思わず王子の顔を見ます。
「努力は報われると信じていた。何に対しても嫌な顔一つせずやってきたつもりだ。実際、やった分の成果は得られたしな。・・・そうじゃないものもあるって、知っちまったが。どんなに望んでも、手に入らないものもあるってな」

苦しげな顔で呟いた王子。あかねは、意外でした。彼が望めば何だって手に入れられる気がしました。それこそ、意中の女性の心でさえも。こんなに非の打ち所のない、誰もが惹かれてやまない人なのだから。

「乱馬なら何でも手に入りそうなのに・・・」
驚いた顔でそう呟いたあかねに、一瞬、王子は言ってしまいたい衝動に駆られました。

『手に入れたいのは、お前の心だ』と。

しかし伝えることは出来ません。
なぜなら、彼がその望みを口にした途端、それは「命令」となってあかねに降り注ぐからです。
断ることが出来ないと知っていて、嫌々受け入れなければならないと分かっていて、言う気になどとてもなれませんでした。

重くなってしまった空気を裂くように、あかねは、手に持っていたバスケットを掲げ、
「もうすぐお昼だね。これ、食べない?」
とにっこり笑いました。

ゆかとさゆりが用意してくれたそのバスケットには、サンドイッチやサラダ、紅茶も用意されていました。あかねはそれを平らな場所に広げたシートの上に置きながら
「これね、ゆかとさゆりが用意してくれたの。あ、二人は、私のお世話役をしてくれているんだけど・・・今では、親友のような、かけがえのない存在なのよ」
嬉しそうにそう言いました。
さ、どうぞ、と指定された場所に座り、王子はあかねとサンドイッチを食べ始めました。

「・・・うん、おいしい!」
王子が口をつけたのを見てからサンドイッチを手にとったあかねは、一口食べて顔をほころばせました。

「・・・なんで」
「?」
「なんでそんなに前向きになったんだ?」
あんなに落ち込んでいたのに・・・。今のあかねは、笑顔を絶やさない、本当に朗らかな女性です。可愛らしい表情は王子の心をより一層捕らえる一方で、困惑させることにもなっていました。

「前向きでいようって、決めたから」

笑顔でそう言ったあかねに、王子は言葉を返すことが出来ませんでした。
前向きに・・・今頑張っていることを前向きにと言われたら、まるでお后候補でいることを前向きに検討すると言われているようで、王子の心には期待と希望が溢れていきました。都合良く解釈するな、それはあくまで自分の勝手な思い込みだと、もう一方で心が訴えても、やはり嬉しさがこみ上げるのを抑えることは出来ず、こちらを見ているあかねの澄んだ瞳を見つめ返しました。

ゴロゴロゴロ・・・・・・。

そんな二人の雰囲気を壊すように、遠くから雷の音が聞こえ、あかねはビクッと肩を震わせました。
空を見上げると、いつの間にかすっかり曇っていて、今にも雨が降り出しそうです。
話に夢中で天候の変化に全く気が付かなかったあかねは、慌ててバスケットに中身を全て戻すと、シートも片付けました。
あかねのその様子を見ていた王子は、あかねが慌てたまま馬に駆け寄ろうとしたのを見て、
「待て。今から馬で動くのは無理だ。落雷の危険が・・・」
そう声を掛けた瞬間、ピカッと閃光が走ったかと思うと、さっきよりも明らかに雷の音が大きく鳴り響き、あかねは「きゃあっ!」という声と共に半泣きでうずくまりました。
「もしかして・・・雷怖いのか?」
静かに問いかけた王子に、あかねはうずくまったまま何度も首を縦に振ってみせました。

「しょーがねーな。来い」
王子はあかねの手を取ると、泉のほとりの、木々のない場所まで移動しました。

「雷が鳴るときに木の下にいるなんて自殺行為だ。ここなら近くに樹木はないし、仮に雷が落ちても・・・」
「か、雷が、落ち・・・!?」
さらっと言った王子の言葉に、あかねは更なる恐怖を覚え、ガタガタと震えました。

「ほら、座れ。姿勢を低くするんだ」
言っているうちに雨も降り出したので、王子はあかねを座らせてから上着を脱いであかねの頭に掛けました。
しかし、あかねは
「!? こ、これは、乱馬が使わなきゃ・・・!」
王子に風邪でも引かせては大変と、上着を返します。
「いいから、かぶってろよ」
「ううん、そういうわけには!」
尚も上着を押し返すあかねに、
「んだよ。かわいくねーな。いいからかぶれって!」
と無理矢理かぶせて軽い力で頭を押さえると、
「・・・・・・」
あかねが黙ったので、手を離しました。

静かになったあかねの様子を見ようと目の前にしゃがんだ王子は、あかねがかぶせられた上着を目の上まであげて
「どうせ可愛くないですよーだ・・・」
と王子に対して頬を膨らませ精一杯反抗した姿に、目眩を起こしそうでした。

『こいつのどこが可愛くないって?』
恥ずかしくて目を逸らした王子に、あかねはふっと表情を緩めると
「上着、ありがと・・・。乱馬も一緒に使おう?」
そう言って、王子の隣に座り、彼の頭に上着を掛けて自分もかぶりました。

「・・・・・・!」
あかねの行動に、王子は身体がぎしっと音を立てそうなほど不自然に動きを止めました。
ふわり、と上着が掛かった瞬間にかすめたあかねの匂い、密着しそうな肩や腕、上着によってさらに薄暗くなった視界。
少しでも動けば、あかねの身体のどこかしらに当たってしまう。
王子が理性を失いそうになる中、あかねは未だガタガタと震えながら身を小さくしていました。
依然として雷は時折近くで鳴り、そのたびにあかねは身を硬くして頭の上で上着を掴んでいる両手に力を込めました。

その様子を見て、王子は何ともいえない愛しさが募り、思わずあかねの肩を抱き寄せていました。
「・・・大丈夫だ。俺がいる」
安心させるように、冷えた身体を温めるように肩をさすってやると、こわばっていたあかねの身体の力が徐々に抜け、ゆっくりと頭が王子の肩に預けられました。

二人は、雷が遠ざかり雨が止むまで、まるでその空間だけが切り取られたかのように、そっと静かにそうしていました。

   “君が欲しい 君が欲しい 他には何にもいらないよ”

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やっっと更新することが出来ました!
正直なところ、未完のままになるのでは・・・と思った時期もありました。
でも「続き楽しみにしてます」「ずっと待ってます」等の皆様のお言葉が私をここに呼び戻しました。
本当にありがとうございます。感謝してもしきれないです。
これから、完結するまで、気長にお付き合い頂けると嬉しいです。