不機嫌な王子様

10.閑雅なる休日(前編)

王子が隊長と半年ぶりに歓談した日の夜、あかねが部屋でくつろいでいると、夜更けだというのに珍しく扉を叩く音が聞こえました。
「あかね様。夜分遅くに失礼致します。・・・未だ起きていらっしゃいますか?」
「ゆか? ええ、起きてるわ。どうしたの?」
「良き知らせがございます・・・!!」

言葉と扉が開くのはほぼ同時でした。勢いよく中に入ってきたゆかは、余程早く“良き知らせ”をあかねに伝えたいようで、息を切らし頬が上気しています。
「どうしたの、そんなに慌てて。それもこんな時間に・・・。明日は休日だし、まだ眠る気はなかったから来てくれたことは嬉しいのだけど」
「あかね様。これを聞いたらますます眠れなくなりますよ!」
「ふふ。そんなに嬉しそうに言われたら、聞く前から私も嬉しくなっちゃう」
穏やかな笑顔のあかねを見て少し落ち着いたゆかは、ゆっくりと一度呼吸してから本題に入りました。

「実は・・・明日、王子様があかね様との遠乗りをご所望だと、今しがた使いの者が伝えに来たのです」
「え・・・乱・・・王子様が・・・!?」
「ええ。突然のお申し出で私どもも驚きましたが・・・」
これを聞いて、あかねの胸はもちろん高鳴りました。王子に会えるのはいつぶりでしょう。もう随分長いこと会っていないような気がします。

「あかね様。王子様が直々にお相手を命ぜられるなんて、やはりとてもあかね様を気にされている証ですよ。ここしばらくお姿をお見かけしなかったのも、きっと御公務がお忙しかったからなのです。現に他の姫君たちをこうしてお誘いしたという噂も聞いたことがありませんし・・・」
ゆかの言葉にあかねの心はますます高ぶりますが、図に乗ってはいけないと必死で良い想像を否定します。
「そんな、もし今までになかったとしても、これから一人ずつ順番に、とか十分に考えられるし・・・」
「いいえ! そんなはずが御座いません! 大体、お顔、お姿、知識と教養、そして何よりもお心・・・どれをとってもあかね様ほど可憐でお美しい方は国中探しても、世界中探してもいらっしゃいませんもの! 王子様もようやくそのことに気付かれたのです! いえ、きっとずっとお気付きでした!」
「そんな大袈裟な・・・もう、ゆかったら」
連なる褒め言葉に、あかねは頬が赤く染まります。もっとも、ゆかは本気で言っているのですが。

「あかね様、明日はとびきりのおしゃれをして王子様にお会いしましょうね。・・・あ、でも“御影(みかげ)”に乗せて頂けるのなら・・・」
「御影?」
「王子様の持ち馬です。それはもう見事な白馬で・・・」
「へえ・・・」
「どこに連れていって下さるのでしょう。“蒼天(そうてん)の泉”や“紅涙丘(こうるいきゅう)”・・・もしくはもう少し先まで足を延ばして“藤葛(ふじかずら)の森”かしら?・・・ああ、王子様のことですからあかね様を素敵な場所へお連れして下さるに違いありません。とにかく楽しみです!」

ゆかはまるで自分が王子と出掛けるかのようなはしゃぎようです。あかねはそれを嬉しそうに見ながらも、何かじっと考え込んでいました。
「ドレスは・・・裾が広がりすぎていないものがよろしいですね。今からいくつか見繕って、明日の朝あかね様に決めていただ・・・」
「ねえ、ゆか」
「はい」
意を決したようにパッと顔を上げたあかねは、ゆかに近付いて耳元に唇を寄せました。
「お願いがあるのだけど・・・」
二人以外誰もいない広い部屋であるにも関わらず、耳元で、しかも小声で話すあかねに、ゆかも神妙な面持ちで次の言葉を待ちます。

「ええ!?」
あかねの余りにも意外な“お願い”を耳にしたゆかは、思わず大声を出しました。
「お願い。こんなことゆかとさゆり以外には絶対に頼めないし・・・」
「それは・・・あかね様のお頼みでしたらどんなことでも叶えて差し上げたいですが・・・」
「王子様には私が直接話すから。二人には絶対に迷惑掛けないようにする。・・・ね、お願い!」
手を合わせて頭を下げるあかねに、ゆかは微笑んで
「はい・・・では、早速手配いたします」
と答えました。その瞬間、
「ありがとう!」
と輝く笑顔を見せたあかねを見て、ゆかはますます笑顔になると
「ふふ・・・あかね様がこんなにお喜びになる姿、見られて嬉しゅうございます」
そう言いつつ、さゆりにも見せたかった・・・後で報告してあげよう・・・と呟きます。
「べ、別に私は・・・」
あかねは慌てて手を大きく振り否定しますが、
「嘘はいけません」
ゆかはそれをきっぱり切り捨てました。
「だってあかね様、今まで見たこともないようなお顔をなさっていますもの」
とてもお可愛らしい、とにっこり付け加えられ、あかねはそんなに露骨な顔をしているのかと心底恥ずかしくなりました。

しかし、ゆかの言うことはずばり当たっていました。
前向きでいよう、王子を好きでいようと決めてから、初めてお会い出来るのです。
それだけでも嬉しいのに、王子からの誘いで何処かへ出掛けられるとなると、心が弾まないわけがありません。
「しかも・・・」
「? あかね様?」
「あ、なんでもないわ。えへへ。じゃあゆか、お願いね」

思わず考えを口にしようとしてしまったあかねは、それを誤魔化すと、ゆかと別れた後遅くまで明日のことを考えてなかなか寝付けませんでした。


翌朝、王子は馬屋へ行って唖然としました。
「ど、どうして・・・」
自然に疑問の言葉が出てしまいます。

それもそのはず。
特務隊長・・・良牙に夜『明日は久々に遠乗りしよう』と言われ、半ば強引に2、3件入っていた公務を後日に変えさせられたため、少し憮然としながらも約束の時間に馬屋へ行ったら、思いも寄らない人物に会ったのですから。
一番会いたくて、一番会いたくない人物。会いたかったのに、ずっと避けてしまっていたその人が、目の前に立っています。

しかもさらに驚いたことに、あかねはドレスではなく、乗馬服・・・女性の乗馬服はこの国にはありませんから、男物の服を着て、長い髪を上の方で一つに結わえていました。
それらにあまりに驚いた王子は、思わず“どうして”と呟いたのですが、あかねは何を思ったのかすぐに謝ってきました。
「申し訳御座いません!」
「?」
「この格好のこと・・・でしょ? 実はお父様に昔から乗馬を教わっていたもので・・・遠乗りをされると聞いて、後ろに乗せて頂くよりも馬を一頭お貸し頂いた方が遠くまで行けるし楽しいかなと思って・・・で、でも、出過ぎた真似だった・・・ですか・・・」
「い、いや、そうではなくて・・・」
「・・・女性が乗馬服を着るなど、常識のない行為であることは重々承知しておりますが・・・お、お誘いになられたこと、後悔していらっしゃいます・・・よね・・・」
「・・・・・・」

あかねの言動から察するに、どうも“自分があかねを遠乗りに誘った”ようにしか見えません。これだけで、王子が状況を把握するには十分でした。
昨日の『ちょっとやることが出来たからな』と言っていた時の隊長の笑みを思い出し、王子は頭を抱えました。
「あの野郎・・・余計な真似を・・・」
「あ、あの・・・乱馬・・・?」
「・・・・・・!」

隊長の企みには気付けても現状を理解しきれていなかった王子は、愛らしい声に名前を呼ばれたことで、ようやく今から二人で出掛けるのだということを認識しました。意識した途端に“今日は一日二人きり” “あかねを何処に連れて行こうか” “何を話そうか”等々、次々に頭に浮かんできて、すっかり舞い上がってしまいました。
「あ、ああ、今日は遠乗りには絶好の日和だよな、うん。そうだ、紅涙丘へ行こうか。あそこから見る夕日は綺麗で・・・いや、時間的には藤葛の森が丁度いいかな。森の中に確か・・・」
「あの・・・」
「よし、ともかく行こう!」
「ねえ・・・!!」
「?」

勢いで『ねえ』と言ってしまったあかねは、今更後にも引けず、自分の方を向いた王子にそのまま言葉を続けました。
「まず、馬を貸して頂けないかな・・・?」
「あ、ああ」
王子は、すぐに馬房を案内してくれました。
何頭もいる馬のうち、毛並がそれは見事な白馬の前で立ち止まると、王子はその馬を優しく撫でながら語りかけました。
「おはよう、御影。今日の調子はどうだ?」
あかねは『この馬が昨日聞いた“御影”・・・』と思うと同時に、王子の優しい眼差しに心を奪われました。

御影は、たてがみや尾まで本当に全身が真っ白の牡馬で、あかねはこのような馬を初めて目にしました。白毛の馬は個体数が極端に少なく、伝説の毛色とまで言われていたからです。王子にとても心を開いているようで、彼が側に来てからずっと青の美しい瞳が嬉しそうに輝きを放っています。

「コイツは“常盤(ときわ)”だ。本来は特務隊長の馬なんだが、気性も優しいしお前を乗せることを嫌がったりはしないだろう」
御影に見とれている間に隣に移動した王子が、別の馬を撫でながら言いました。

常盤と呼ばれた牡馬は青毛と呼ばれる全身真っ黒の最も黒い毛色をしており、こちらも個体数が比較的少ない毛色ですぐにあかねの目を引きました。黒目がちの瞳は優しさを感じさせます。

「確認するが、馬乗りは慣れているんだよな?」
「はい」
「よし、では軽く慣らしてから出掛けよう」
王子が次の行動に出ているのを見つめながら、あかねは常識がないと非難されても仕方のないようなことを、彼が当たり前に受け止めてくれたことを嬉しく思っていました。自分のこういう面を見せても王子が受け入れてくれるかどうか、それはあかねにとってまさに“賭け”でした。
あかねは笑顔で王子に駆け寄り、手伝いを始めました。

こうして、二人の休日が緩やかに流れ出したのです。

   “誰かのことを 想える心がある
    だから恐いの 幸せは何時も 死角狙ってる”

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二人が絡むことがあまりに少ないこの小説。
今回はゆっくり過ごして頂ける・・・かな。
行き先の場所は、字に「色」が付いていて、意味は「色」でない言葉。
馬は、王子っていったらやっぱり“白馬の王子様”ということで白馬。
良牙の馬は対照的に真っ黒に。名前は岩石から。