チョコの行方 -side A-

2月14日。
それは、女の子が好きな男の子に思いを告げる日。
素直じゃない女の子も、素直に気持ちを伝えることが出来る日・・・?


寒さが一段と厳しい2月のある日、あたしは街に一人で買い物に来ていた。
いつもならなんだかんだ言いながら結構一緒についてくる乱馬が、今日はいない。

だって、今日は2月13日。
バレンタイン前日。

今年こそ手作りチョコを作って、素直に「はい」って手渡しするんだ。
そのために「用事があるから」って、今日は先に帰ってもらったんだもん。
昨年はチロルチョコ一個だったし・・・まぁいろいろあったからだけど・・・。
勇気を出して、素直になって・・・。
「好き」の文字を書いた手作りチョコ、渡す!

こっそり買った本に書いてある“ハート型チョコケーキ”の材料を、本を片手に買い揃えていく。
普段はかすみお姉ちゃんのおつかいでしかスーパーでの買い物なんてしないから、自分のための買い物は何だかすごく楽しい。
おいしく出来るかな・・・。
「おいしい」って言ってくれるかな・・・。
なんて考えながら品物を手にとる。

そんな自分を客観的に想像して、可愛いなぁあたし、って嬉しくなってみたり。

いつもいつも上手く料理を作れないあたし。
そのすごく美味しくない料理を「まずい!」と言いながら全部食べてくれる乱馬。
おなか壊したりしながらも全部食べてくれることがあたしへの愛情表現だって、いつからか勝手に思っちゃってる。
でも、そうだよね・・・?
上手く言葉に出せない乱馬の不器用な愛情表現だって、思ってていいよね・・・?
期待と同時に押し寄せてきた不安を打ち消すように、あたしは頭を大きく左右に振った。


あー、もう!!
どうしてこんなに料理って難しいんだろ。
何度やっても、上手くいかない。

スポンジを膨らますために入れてるゼラチンがいけないのかなぁ?
それとも、隠し味に入れてるみりんのせい?
はたまた、健康のことも考えて入れた栄養ドリンクのせい??
文字はどんなにきれいに書いてもオーブンに入れるとどろどろになっちゃうし・・・。

どうしよう・・・。

日曜なのを利用して午前中から作り始めたのに、もう21時すぎ。
お姉ちゃんさえ台所に入れないで自分で頑張ってたけど、このままじゃ渡せないまま14日が終わっちゃう。
何でちゃんと出来ないのかなぁ、って泣きそうになる。

でも泣いてる暇はない。
手作りのものは渡せなくても、せめてチョコだけは渡さなくちゃ・・・。
やっぱり、お店へ買いに行こう!

「ごめん、お姉ちゃん! ここ、お願い!!」
かすみお姉ちゃんにそう一言声を掛けると、あたしは夜の街へ飛び出した。

夜風が頬をすり抜けていく。
手袋もマフラーもしてこなかったから、走っていても手と足の先は冷えていく。
だけどそんなこと、今のあたしにはどうでもよかった。
ただ、早くチョコを買って渡さなきゃ、って思いだけがあたしを全力で走らせていた。

スーパーはもう開いていない。
あたしは近くのコンビニへ入り、バレンタインチョコのコーナーに目を向けた。
コーナーの目の前まで歩み寄り立ち止まると、自分が大きく肩で息をしているのがわかった。
息を整え、落ち着いて飾られたチョコたちを見る。

綺麗にラッピングされたハート型チョコ、トリュフ・・・。
どれにしようか考えている間に、自分が昨日どんな気持ちでスーパーで買い物をしていたのかを思い出した。

「好き」の文字を書いた世界でただ一つのチョコ。
乱馬のためにあたしが作るはずだったチョコ。
今年こそは勇気を出して素直になって「はい」って手渡しするはずだったのに。
本当にこれで代用するの・・・?

あたしは、チョコを買えなくなってしまった。

今さらもう一度作ることも出来ない。
既製品のチョコを使うわけにもいかない。
こんな状態で、うちにも帰れない。
最悪の状況だった。

あたしは足元をふらつかせながら、ぼんやりと街を歩いていた。
張り詰めていた糸が切れ、身体中にだるさを感じながら。
よく学校帰りに通る公園に辿り着いて、あたしは何となく中へ入り、ブランコに腰掛けた。
この寒さからか人は誰もいないようで、辺りは静けさに包まれている。

しんとした静寂の中、思い描く人はただ一人。
目をつぶると、自然に涙がこぼれた。
目を開けると、また涙があふれてきた。
このまま夜の闇に溶けてしまいたい・・・。


どのくらいの時間がたったのだろう。
5分にも思えるし、1時間にも思える、短いような長いような時間の流れ。

一つだけはっきりしていることは、今あたしの目はウサギさん以上に真っ赤だなってこと。
うなだれたまま、自分の状況を声もなくあざ笑ってみる。

その重い空気を、突然ガサッという物音が切り裂いた。
あたしは、現れたその人の姿に息を呑んだ。
だって、世界で一番好きで、今一番会いたくない人だったから────。

「乱馬・・・・・・」

やっとしぼり出した声は、自分でも分かるほどにかすれ、震えていた。
その声であたしはハッとした。

こんな顔、見られたくない。
今のあたし、乱馬にだけは見られたくない!

「何か用?」
あたしは、精一杯普通に聞こえる声を出した。
幸い、今夜は月が出ていない。
あたしの表情は少し離れた乱馬の位置からは見えないはず。

一瞬の沈黙、そして。
「・・・別に。お前がこんな時間に一人で出掛けるからおじさんたちが心配して、探してこいって言われたんだよ。お前こそこんな時間にこんなところでなにやってんだ?」

怒って、る? 乱馬、怒ってる?

愛しい人の鋭い一言に、心臓は早鐘のように早くなる。
言葉自体は普通なのに、いつもより明らかに少し冷たい口調があたしの神経を更に逆なでする。

「乱馬には関係ないでしょ。悪いけどまだあたしは帰れないから、乱馬先に一人で帰って。お父さんには適当になんか言っといてよ」
「・・・何だよ、それ。こんなところで何の用があるってんだよ」
「あんたには関係ないって言ってるでしょ! ほっといてよ!!」
「・・・・・・!!」

つかつかと近寄ってきた乱馬が、あたしの腕をつかむ。
その力はすごく強くて、あたしは大きく乱馬の方へ引っ張られた。

「いやっっ!!」
全力で乱馬を突きとばす。
近くで顔を見られたら、泣いていたことが乱馬に分かってしまう。

あたしはジンジンと痛む腕を押さえ、顔を隠すようにして乱馬と反対の方向を向いた。

また訪れた沈黙。
一瞬か一時か。
それを破ったのは乱馬だった。

「・・・・・・とにかく、うちに帰ろう。みんな心配してる」
さっきよりずっと穏やかな声。ううん、呆れた声?

乱馬は、それ以上何も言わなかった。


おとなしく乱馬について帰りながら、あたしも一言も話すことは出来なかった。
どうしていつもこんな風なんだろう・・・。
思っていることと反対のことを言っちゃって、乱馬を傷つけて。

本当は、さっき来てくれた時、どうしようっていう気持ちと同時に、すごくうれしかった。
どうしようもないあたしを、乱馬はいつも助けてくれる。

一番寂しい時に、必ずそばに来てくれる。

斜め後ろから、顔を少しだけ前に出して、ちらりと乱馬の顔を見る。
見上げた先の彼の横顔は、街灯の明かりに照らされてとても綺麗で。
まっすぐに前を見ていて。
あたしなんか全然見てないんじゃないかって思えてきた。

本当は、バレンタインだ、って頑張ってるのはあたしだけで。
乱馬は今日が何の日か気付いてもいないんじゃないかな。
それとも、もうシャンプーやうっちゃんからたくさんチョコをもらってて、乱馬の中でのバレンタインデーは終わっちゃってるとか?
不器用な女の手作りチョコがなくて助かった、と思ってるとか・・・。

そういえば、乱馬今日一日何してたんだろう。
考えれば考えるほど不安になって、ますます何も言えなくなった。
空を見上げると黒い雲が月を完全に隠してしまっていて、今夜は一晩中月に出会えそうもなかった。


うちに帰ると、乱馬はスッと自分の部屋へ入ってしまって。
あたしものろのろと自分の部屋に戻った。
疲れた身体を投げ出してベッドに横たわると、またどうしようもない不安が駆け巡る。
『アタシハ乱馬ニトッテ、イラナイ人間・・・?』
そんなはずない、と何回打ち消しても、頭から離れない。

あたしはどうしたいんだろう。
ゆっくりと、自分自身と向き合ってみる。

不器用なあたし。素直じゃないあたし。可愛くないあたし。
だけど、こんなあたしにも一つ誇れることがある。
乱馬が好き。それだけは何があっても変わらない真実。
たとえ乱馬があたしをどう思っていても、これだけは変わらない。変えられない。

あたしはゆっくりと起き上がった。
自分の気持ちを、愛しい人に聞いてもらうために。
“素直で可愛い女の子”に、一歩近づくために────。

部屋を出て階段へ向かうと、かすみお姉ちゃんが階段の下に立っているのが見えた。
「お姉ちゃん、全部片付けさせちゃってごめんね」
階段を降りそう告げると、お姉ちゃんは意外な言葉を返した。

「いいのよ。それよりあのチョコまだ乱馬くんに渡さないの?」
「え?」

台所へ行くと、材料の残りや調味料・調理器具は全て片付けられ、最後に焼いたチョコケーキ一個だけがテーブルに残されていた。

「お姉ちゃん・・・」
「なあに?」
「・・・ありがとう、お姉ちゃん!」

あたしは急いでそれをラッピングした。
「好き」の文字も全く読み取れないけど。
全然美味しそうじゃないし、ラッピングも下手だけど。
手作りチョコがあたしに勇気をくれる。
素直に、彼に気持ちを伝えられそうな気がしてきた。

なのに、乱馬の部屋の前へ行くと、やっぱり心臓がドキドキしてきた。
電気がついていない。
でも中にいるはず・・・まさかもう寝ているとか?

そろりとふすまを開けると、乱馬はやはり寝転がっていたようでガバッと立ち上がった。
いきなり目の前に来た彼に胸がいっぱいになり、下を向いてしまう。

・・・やっぱりだめ。素直に「好き」なんて言えない・・・。

「はい」
うつむいたまま、箱を差し出すだけで精一杯だった。
一瞬の間。その後、差し出した腕が軽くなる。

乱馬は何もしゃべらない。どんな顔をして受け取ったかもわからない。
包みを開く音が聞こえる。その音を聞いて、あたしは下を向いたまま堰を切ったようにしゃべり出した。話してるうちに、何だか涙があふれてきた。
「あのね、一応手作りなの。本当はもっと早くあげたかったんだけど、時間がかかって・・・ううん、本当はもっとちゃんとしたものをあげたかったんだけど・・・なんて書いてるかも分かんないし・・・それで一度は渡せないって思って既製品を買いに行こうとしたんだけど・・・」

「もう、いいよ」

あたしの言葉は、乱馬の一言で遮られた。
『モウイイヨ』ってどういう意味? イラナイってこと?

心臓を直接掴まれたみたいに苦しい。
息が出来ない。
今、なんて・・・・・・。
大きく見開いた瞳から、溜まっていた涙が零れ落ちる。
心が空虚に支配されていく。

だから、乱馬に抱きしめられたことにも、一瞬気付かなかった。

温かくて優しい腕が、あたしを現実へと引き戻す。
「もういいよ、何も言わなくて。気持ちはここに書いてある言葉一つで、十分伝わったから・・・・・・」

・・・え・・・書いてある言葉・・・?

「何て書いてるか、わかったの・・・?」
あたしの言葉に返事するように、腕がもう一度ぎゅってしてくれた。

「わかるよもちろん・・・だって、俺も同じ気持ちだから・・・・・・」
乱馬の言葉に、また涙が零れ落ちた。

でも、これはさっきまでの涙と全く違う。
あたしは愛しい人の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめて瞳を閉じた。

  St.Valentine Day


2003.01.16
バレンタイン企画小説、あかね視点です。
二次創作と呼べるものを書いたのはこれが初めてで、読み返すと文章が恥ずかしすぎる・・・。
チョコケーキのところは書いてて楽しかったです。乱馬くん、3日は寝込むはず。
スーパーでめったにしない料理の買い物をして自分の姿を若奥さまみたいだなぁって客観的に想像して楽しんじゃったり、沈黙がいやで急におしゃべりになったり。
そういったあかねちゃんの女の子らしさも、書きたかったことの一つです。