貴女に頼られたいのです。

その日、あかねは朝から激しい倦怠感に襲われていた。

何故か視界はグラグラで、授業も全然頭に入らない。
けれど『学校に行かなきゃ』とか『授業を受けなきゃ』とかそんな気持ちがあかねを動かしていた。

ところが、3時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ったところで、隣の席でいつものように寝ていたはずの乱馬が突然立ち上がり
「帰るぞ」
と言ってあかねに鞄を投げつけた。あかねは思わずいつもの癖で
「は? なんでよ」
と言い返したが、
「んなフラフラで何言ってんだよ。ほら」
と有無を言わせぬ雰囲気で腕を掴まれ、引っ張られたので
「ちょ、待ってよ!」
慌てて机の上と中の荷物を整理して教室を出るしかなかった。

これを見ていたクラスメイトたちは二人に何か言おうとしたようだったが、乱馬の纏う空気が怒っているように尖っていたので、誰も何も言えなかった。

腕を引いてずんずん歩く乱馬。いつもはあかねに合わせているのか二人の歩くスピードはほぼ同じなのだが、今日は乱馬が速いのかあかねが遅いのか、全くついて行けない。だんだん引きずられるような形になり、校門を出た辺りであかねはとうとう座り込んでしまった。

「・・・おい!?」
「・・・・・・」
乱馬の問いかけにも答えられない。身体がだるくて、頭が重くてボーッとして、何を考えたらいいのかも分からなくなってくる。

「・・・ったく」
乱馬の不機嫌そうな声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、あかねは抱き上げられていた。

「ちょっ・・・放して! 降・・・ろし・・・て!」
力の入らない身体を精一杯動かして暴れたつもりだったが、実際はほんの少し手足が動いて小さい声が出ただけ。
「暴れんじゃねーよ」
もちろんこんな些細な抵抗で乱馬がびくともするわけがないのだが、それにしても。

いつも偶然手が触れるだけで真っ赤になって悪態をつくくせに、何故そんなに平然としているのか。

乱馬は自分から掴まることもままならないあかねをしっかりと抱きかかえ、屋根の上をひた走る。一番近くの内科へ、一直線に。

あかねは、辛くて自然に閉じる瞼を、時々無理矢理こじ開けて、間近にある彼の顔を盗み見る。

怒っているような、心配しているような、呆れているような、そんな表情。

・・・なんでそんなカオ、してるのよ・・・。

乱馬の悲愴な顔を見て、あかねは胸が締め付けられる思いだった。

平日のお昼前で、病院はすいていた。
あかねはすぐに診てもらうことが出来、風邪と診断された。

しかし高熱にも関わらず相当我慢したのかすっかり身体が弱っている、と1時間程点滴を受けた。

あかね自身はほとんど意識がなく、点滴中も眠っていたため、乱馬が代わりに説明を受けたのだが、こんなになるまで黙って耐えていたあかねを責めたい気持ちでいっぱいだった。

何故黙っていたのか。
頼ってくれなかったのか。
そんなに自分は頼りないのか。

あかねは皆に心配を掛けたくなくて、黙っていただけだろう。学校も、きちんと行かなければ、と彼女本来の真面目さで無理にでも登校したのだろう。

それが分かっていても、朝からずっと一緒だった自分に「きつい」の一言も言ってくれない許婚に、そして、何かおかしいとは思いながらも、声を掛けるのがこれほど遅くなってしまった自分に、腹を立てていた。

点滴が終わると、乱馬は会計を済ませあかねを抱き上げて家へ帰った。
人目など関係なかった。抱えたことであかねは目を覚ましたが、まだすぐには動けないようで、ぐったりと乱馬に身を任せていた。それをいいことに、また屋根の上を走って真っ直ぐに帰宅した。

家に着き、あかねの部屋へ彼女を運びながら「かすみさん? おじさん? おふくろー?」と呼んでみたが、家の中はしーんと静まり返っていて、何の物音もしなかった。
どうやら皆出掛けているらしい。

乱馬はあかねをそっとベッドに寝かすと、丁寧に毛布を掛けてやり、必要そうなものを準備するため一度下に降りた。

とりあえず、さっき病院でもらった薬を飲ませないと。
でも何も食べずに薬を飲むと胃が荒れてしまう。
お粥でも作るか・・・そう思い台所に立った乱馬の耳に入ったのは、階段から大きなものが落ちるような音だった。

「・・・・・・!!」
階段の下に飛んでいくと、乱馬の予想通り、あかねが手すりに縋るようにして一番下にうずくまっていた。

「あは、は・・・転んじゃった。気に・・・しないで?」

弱々しくそう言って尚も動こうとするあかねに、乱馬はつい
「何やってんだよ! 寝てろ!」
と強い口調で怒ってしまう。

あかねが
「だって、薬・・・飲まなきゃ」
と反論したことで、とことん自分を頼らない態度に乱馬がキレた。

「ほんっと可愛くねえなぁ!!」
「な・・・あんたに頼らなくても、平気だもん」
「平気なわけねーだろ!? 今階段から落ちたじゃねーか!! こんなになるまで我慢してたってのにまだ意地張るのかよ!?」
「・・・あんたには関係ないでしょ」
「・・・・・・!!」

そう言われればそうなのかもしれないが、乱馬にしてみればあまりの言葉に、とうとう
「・・・あーそーかよ」
と低い声で呟くと、あかねを担ぐように持ち上げた。

「きゃ・・・なにすんのよ!」

元々本気になれば相手にならないが、力の入らないあかねなど全く怖くない。さっさとあかねを部屋に戻すと、
「いいか。ベッドから出るなよ。次出やがったら・・・襲うからな」

再び横にならせ毛布を掛けると、よく分からない脅しであかねを制する。

「お粥作ってきてやるから、薬はそれ食べてからだ」
「・・・食べたくない」
「・・・かもな。じゃあヨーグルトは?」
「・・・・・・食べる・・・」

やっと言うことを聞く気になったらしいあかねにホッとしつつ、さっき部屋を出るときにこう言ってやっていればあかねは部屋から出なかったかもしれない、と言葉足らずな自分を責めた。

「取ってきてやるから。寝てろよ?」

あかねが小さく頷いたのを確認し、部屋を出る。
自分は風邪などほとんど引かないのでよく分からないが、必要そうな物を思い付く限り用意して急いで戻る。

あかねは、今度は大人しく毛布にくるまったまま待っていた。

「・・・起き上がれるか?」
心配そうに聞いた乱馬に、あかねは少し微笑むと、
「・・・多分・・・」
と呟いてベッドに両手をつき、ヘッド部分にもたれ掛かるようにして起き上がった。

「ほら、ヨーグルト。食え」
フタを開けたヨーグルトをスプーンでひとすくいし、あかねの唇の前に差し出す。

「え・・・・・・」
あかねは『食べさせてもらう』ことに多少の抵抗を感じているようだった。
乱馬とていつもの状態なら絶対にやらなかっただろう。
しかし今はそういったことよりも、あかねを少しでも楽にしてやらなければ、とそちらの方に意識が行っていて、
「食・え」
強引にあかねの唇寸前までスプーンを近付けた。
「・・・」
意を決したようにパクッとそれを口にしたあかねは、
「・・・美味しい」
と呟いた。


illustrated by yamiさま


乱馬はあかねがものを美味しく食べられたことが嬉しくて、
「そか。じゃあ全部食え」
と微笑むとゆっくりと一口ずつ口に入れていった。

大人しくそれに従ったあかねは、食べ終わると次に薬を用意してくれている乱馬を座ったまま見つつ、ぽつりと話し出した。

「ごめんね・・・」

水の入ったコップと薬を持った乱馬が動きを止める。

「なんか、具合悪いかなとも思ったんだけど、あたしは格闘家なんだからこれくらいで弱音吐いちゃいけないって、きついってことを認めたくなかったの」
「・・・・・・」
「さっきは、乱馬そんなあたしに呆れてたみたいだったし、怒ってたから、これ以上迷惑掛けたくなくて・・・あんなこと・・・」

あかねの大きな瞳から涙が零れ出した。
きついのと相まって、次々に溢れ出し、止まらない。

「ごめ・・・」
「謝んな」

尚も謝ろうとしたあかねの言葉を、乱馬が遮った。

「怒ってた・・・っていうのは当たってるけど、それはおめーが風邪を引いたからじゃなくて、おれを・・・」
「・・・?」
おれを頼ってくれなかったから、と言いそうになって、慌てて口を塞いだ。
さすがにその一言は、女々しくて言えない。

「・・・乱馬?」
「とっとにかく・・・今度こんなことがあったら・・・まずおれに言えよ」
「乱馬、に?」
「おれに言え」

最後には腕を組みながらそっぽを向いて言われた言葉だったが、あかねには乱馬の優しさが十分伝わった。

「・・・うん。ありがと、乱馬」

涙ぐみながら柔らかい笑顔で微笑んだあかねはとても可愛かった。
乱馬はそんなあかねから目を逸らしながら
「さ、薬飲んで、寝ろよ」
と口元にコップと薬を差し出した。

薬をあかねに手渡そうと思っていたのだが、あかねが先程とは違い自分からあーんと口を開けたので、薬を入れてやる。
直後コップを口につけ傾けると、静かにコップの水が減りあかねの喉がゴクンとなった。

「・・・飲めたぁ」
本来薬は苦手だったのか、飲んだことを無邪気に喜ぶあかねに、乱馬の頬も緩む。

「・・・本当は制服着替えた方がいいんだろうけど、今しんどいだろうし、後でかすみさんに手伝ってもらえ」
「・・・う、うん」

言いながらだんだん恥ずかしくなって顔を背けた乱馬と、その緊張が伝わって口ごもりながら毛布の中へと潜り込むあかね。

乱馬は、横になったあかねのおでこに、濡らしたタオルを乗せてやる。
ひんやりとした感覚が火照った身体に丁度良かった。

「すぐ取れるここにポカリ置いとくな。こまめに飲めよ。汗はこの乾いたタオルで拭け。気持ち悪くなったら我慢せずにこの洗面器かビニール袋に吐けよ?」
「・・・うん」

あかねは、乱馬の気遣いがこれ以上ないほど完璧なことに驚くと共に、自分にそこまでしてくれたという喜びが身体に満たされていくのを感じた。

「すごいね、乱馬」
「おーよ。なんせおれ様が看病してやってるんだからな」
素直に褒めると、得意げに微笑む。

「そだ。目覚めたら少しは食べれるようになってるかもだし、お粥作ってくらぁ」

さらに何かあかねの役に立とうと部屋を出て行こうとした乱馬だったが、それを可愛らしい声が引き留めた。

「待って」
「んあ?」
「・・・行かないで・・・」
「・・・・・・!」

あかねが顔を赤くしているのは、熱のせいか、そうではないものによるものなのか。

乱馬は、引き寄せられるようにあかねの側へ戻った。
「あ、あか、ね・・・」
「今日は本当にありがとう。・・・すごく嬉しい」
「お、おう・・・」
「ね・・・手、つないで?」
「へっ!?」
素っ頓狂な声を上げた乱馬に、あかねは毛布の中から自分の手を出してそっと彼の手に触れる。

「・・・・・・!!」

驚いたがもちろん嫌ではない乱馬は、大分時間を掛けてあかねの手を握り締めた。

あかねはふふっと愛らしく微笑むと
「眠るまでそばにいてね・・・」
と言って静かに目を閉じた。

「おぅ。ゆっくり寝ろ」
照れ隠しでぶっきらぼうな言い方になってしまったが、あかねはすでに半分夢の中で
「ありがと・・・乱馬・・・だい・・・す・・・」
と言ったっきり、すーすーと穏やかな寝息を立て始めた。

「・・・・・・!? お、おい、あかね・・・」

これを聞いて、乱馬の心臓が大きく跳ね上がったのは言うまでもない。
なんとか続きを聞くことは出来ないものか、そしてそれが自分の期待するものと同じであればいいと何度も考えたが、その後あかねは深い眠りに落ちていったようだった。

「ちぇっ・・・期待させんなよな・・・」

そう言いながらも、穏やかな寝顔を見ることが出来心底安心した乱馬は、次はもっと頼れる男になっていたい、なってみせると、そう強く誓うのだった。


2014.05.31
旧サイトの10万打記念で行ったアンケートに、リクエストをつけさせて頂いていました。
たくさんの方々にリクエストを頂いておきながら、一つもお応えすることが出来ないまま、何年も経過してしまいました。
当時来て下さっていた方はもうほとんどいらっしゃらないかもしれませんが、私自身はずっと気になっていたことなので、今後1つずつ、消化していきたいと思います。
第1弾は『あかねちゃんが風邪をひいて乱馬くんが看病するお話』でした。
リクエストして下さった方、ありがとうございました!

2014.07.04 追記
この小説を書いた後、やみたんから「『乱あでどっちかが看病とかそんなんあったらいいなあ』って妄想して描いたイラストと似てるけどパクリではないので!」とメッセージを頂き、見たら本当にピッタリだったので、図々しく「では是非挿絵に☆」と頂いてしまいました〜♪ 心配そうな乱馬くんの表情と、熱で赤くぽーっとなっているあかねちゃんの顔がどちらも捨てがたい・・・じゃなかった可愛いぃぃ!!
頂いたお礼にyamiさまのイラストに合わせ、看病逆ver.を書きました。
コチラ(pixiv限定公開です)