夕ぐれのにわか雨

その日、あたしと乱馬はかすみお姉ちゃんから頼まれた夕飯の買い物に出ていた。

帰り道、夕焼けがとても綺麗で、あたしはフェンスの向こう側の景色に見とれていた。
そんなあたしに乱馬は何も言わず、ただ黙ってフェンスの上を歩いている。

そんな時、突然のにわか雨があたしたちを襲った。
「うわ・・・やべっ」
そう言った乱馬がフェンスから飛び降りて走り出したので、あたしも慌てて乱馬の後を追った。

閉まっている店の軒下に入ると、乱馬は
「うわ〜、びしょびしょだな、こりゃ。あかね、大丈夫か?」
と前髪をかき上げながらあたしに聞いてきた。

「・・・・・・」
あたしは、自分が感じている違和感を隠せなかった。

「? なんだよ」
不思議そうに聞いてくる乱馬に、あたしは
「うん・・・。乱馬、本当に男に戻ったんだなって・・・」
と正直に答えた。

そう。
思いっきり雨に濡れたにも関わらず、乱馬は男のままでそこに立っていた。

「当たりめーだろ? 呪泉郷で完全な男に戻って帰ってきたんだから」
何を今さら、とばかりに言う乱馬。


乱馬は、一週間前、中国から帰ってきた。
ある日突然「中国に行く」と言い出したかと思ったら、翌朝にはいなくなってて、あたしはその展開についていけなかった。

そのまま一ヶ月。
あたしには、乱馬の無事を祈ることしか出来なかった。
不安で押しつぶされそうになっていた日々。
連絡もなくて、大丈夫と何度自分に言い聞かせても涙が止まらなかった夜。

そんな時間を経て、今乱馬は完全な男として、あたしの横にいる。
帰ってきた時、完全な男に戻ったと言った乱馬に、もちろんみんなが思いっきり水をかけたことは言うまでもない。
その時、確かに男のままの乱馬を目にしたんだけど・・・やっぱりまだ慣れない。

それに・・・。
あたしの頭の中には、ずっと一つの疑問があった。
一ヶ月間考え続けたこと。
それを聞かなければ、あたしの気持ちは晴れないだろう。
あたしは、思い切って話を切り出した。

「ねえ・・・。どうして・・・急に中国に行ったの? どうして急に、男に戻ろうなんて・・・」
「聞きたい?」
突然、乱馬があたしの言葉を遮ったので、あたしは少しびっくりした。
黙ってしまったあたしの顔を真っ直ぐに見て、乱馬はもう一度同じ言葉を繰り返した。

「聞きたい?」

その表情があまりにも真剣で、あたしは思わず目を逸らした。
でも、乱馬はそれを許さなかった。
横を向いたあたしの顔を、片方の頬に触れてそっと元に戻した。

「いつ言おうかと思ってたけど・・・なかなか二人になれなくて。恥ずかしいからあえて時間を作ったりはしなかったんだけど、今がいい機会だから、言う」

乱馬が何を言おうとしてるのかはわからない。
けれど、その表情は真剣で、真面目な話をされることだけは確信できた。
こんなに真剣に話そうとしているんだから、あたしもそれに応えなくちゃ。
覚悟を決めて真っ直ぐに乱馬を見つめ返すと、今度は乱馬が視線を逸らした。

「あの・・・あんまり見つめないでくれる?」
さっきはあたしが目を逸らすの許さなかったくせに・・・。

あたしの表情で何が言いたいのかわかったらしい乱馬は、
「うん・・・そうだよな。ここで引き下がるわけにはいかない」
そう言って、もう一度真っ直ぐにあたしを見つめた。


「あかね・・・。俺と、結婚してほしい」


乱馬の意外な言葉に、あたしは一瞬頭の中が真っ白になった。
今、なんて・・・?

動揺しているあたしの気持ちを知ってか知らずか、乱馬は言葉を続ける。
「ずっと決めてたんだ。あかねと一緒になる前に、必ず完全な男に戻るって。今までたくさん遠回りしてきたけど、やっと、俺自身あかねのことを丸ごと引き受けていけるようになれたと思うし、けじめをつけるなら今が一番いい時期だと思った。だから、中国へ渡ったんだ」
「・・・・・・」

「俺、すっげードキドキしてるんだけど。返事、くれないかな」
「・・・・・・」

思わず下を向いたあたしの顔を、乱馬はしばらく待ってから下から覗き込んだ。
「・・・あかね?」
不安そうな乱馬の瞳とあたしの瞳がぶつかった。
「あかね・・・」

乱馬が、泣いているあたしに、そっと声を掛けた。
それから、優しく抱きしめてくれた。
「まさか、嫌で泣いてるんじゃないよな・・・?」

あたしは乱馬の腕の中でコクンと頷いた。
「嫌じゃない・・・嬉しい。すごく嬉しい・・・・・・」
「じゃあ、返事は・・・?」
「・・・はい。乱馬の、お嫁さんにして下さい・・・」
「・・・・・・」

乱馬は、返事の代わりに、あたしをぎゅっと抱きしめて。
「あー・・・なんか、泣けてきた」
一言そう言った。

あたしたちは、びしょぬれの身体のままで抱き合っていた。
しばらくして、ゆっくり身体を離すと、いつの間にか、雨がやんでいた。


夕ぐれのにわか雨がつれてきた最大の幸福。
それをかみしめながら、あたしたちは雨が上がった後の道を、家に向かって歩き出した。
どちらからともなくつないだ手が、温かかった。


2005.04.03
永野刹那さまのサイト「宵のムラサメ(閉鎖済)」に相互リンクのお礼と35万打のお祝いを兼ねてお贈りしたものです。

リクエストは小説でもイラストでも・・・ということだったので、何にしようか考えていたとき、ふと『宵のムラサメ』ってどんな意味があるんだろう?と思い、辞書で引いてみたら「宵(=夕ぐれ)のムラサメ(村雨=にわか雨)」ということで、テーマはこれにしよう、と即決定しました。
自分でも書いてから乱馬くんが決心した理由とか経緯は・・・?と気になりだしたんですが、それは思い付いたらいつか書きたいと思います。