メガネ・パニック

乱馬がうちに来てからというもの、“静けさ”とはほぼ無縁になってしまったけれど・・・。
この日も、何の前触れもなく、事件が起こった。

「あかねちゃん、お帰りなさい。見て、乱馬くんが変なのよ〜?」
折角の休日、ゆかたちと買い物をしに行って、たった今帰ってきたあたしは、帰宅するなり玄関にそう言って出迎えてくれたかすみお姉ちゃんに
「乱馬が変なのはいつものことでしょ。何かあったの?」
と気のない返事をしながら靴を脱ぎ始めた。

すると、縁側の方から
「あ、あかねちゃん。お帰り」
優しい声・・・ううん、聞き慣れていないから不気味な声・・・が振ってきて、思わず顔を上げてしまった。
「ら、乱馬・・・よね・・・?」
そう、紛れもなく乱馬だった。
声・・・だけでなく物腰が柔らかなのと、ふちが銀に光る眼鏡さえ不自然じゃなければ。

「ど、どうしたの? その眼鏡」
「どうって? 僕元々こんなじゃなかった?」
「ぼ、僕!!?」
あまりにも似合わない一人称に、思わず聞き返してしまう。
「ね? 面白いでしょ〜?」
かすみお姉ちゃんが朗らかに笑って言う。
「面白いっていうか気持ち悪いっていうか・・・どうしちゃったの、乱馬」
「居間におじいさんが置いていった眼鏡をかけちゃったみたいなの。それが、普通の眼鏡じゃなかったみたいで・・・」

お姉ちゃんが差し出した紙を受け取って、あたしはすぐ書いてある文章を読んだ。
そこには・・・・・・。

“かけると眼鏡キャラになれます”
とだけ書いてあった。

め、眼鏡キャラって・・・。
誰の、どんな“キャラ設定”を基準にして作られてんのよー!!?
アバウトすぎるでしょ! その枠!!

「あかねちゃん、一緒に勉強しようよ。明日、英語の小テストあったよね」
「え!? 勉強!!? あ、うん。いいけど・・・」

うーん、何か悪いキャラではなさそうだし、むしろ乱馬より真面目で丁寧で優しそうだし、これはこれでいいのかも・・・。
早くもこの乱馬に順応しようとしているあたしは、こういった不可思議な出来事に慣れてるんだなあなんて思いながら答えた。

「じゃあ、あかねちゃんの部屋でいいかな?」
乱馬はそう言いながら、さっさと階段を上っていく。
あたしはその後ろを、何気なくついていった。

しかし・・・。
中に入って部屋のドアが閉まるなり抱きつこうとした乱馬に、あたしは身構えた。
「ちょ・・・っ! 何すんのよ!」
「何って・・・抱擁?」
「抱擁って、九能先輩じゃないんだから・・・。あたしが言いたいのは、どうしていきなりこんなことするのかってこと!」
「いきなりじゃないよ、ずっとしたいと思ってたし。あかねちゃんと」

えっ。

この乱馬はいつもの乱馬じゃないし、眼鏡がそう言わせているだけなのかもしれない。
けど、でも。
そんな風に言われたら、ドキッとしてしまう。

「あたし・・・と?」
「うん。あかねちゃんのこと、すごく好きだから。だから、してもいい?」
「・・・え? え?」

何を!?

考える間もなく近付いてきた乱馬を、あたしは思いっきり窓の外へ放り投げてしまった。
乱馬は「うわああっ」と言いながら落ちていった。

ごめん・・・。

急にこんな展開になっても、すぐには受け入れられない!
大体、乱馬の本心かどうかもわからないし・・・猫拳の時みたいに、元に戻った時あっさりと「覚えてない」なんて言われたら辛すぎる。
あの眼鏡乱馬には、気を付けなくちゃ!


翌朝。
登校しようと身支度を整えたあたしに、乱馬が
「行こうか」
と声を掛けてきた。

眼鏡は掛けたままだ。あれ以来顔を合わせづらくて夕食の時しか姿を見なかったけど、その後のお風呂でも、寝る時も外さなかったのかしら・・・。
自分では取れない、もしくは今の乱馬に取る気がない、とか?

「今日は随分支度するのが早いじゃない」
「ああ。時間に余裕を持って行動したいからさ」

・・・普段の乱馬に聞かせてやりたいわ、この台詞・・・。

乱馬の口から出たとは思えない発言に感心している間に、乱馬は
「さ、行こう」
とあたしの手を引いて歩き出した。

「ちょ、ちょっと・・・!」
乱馬は振り返って一度にこりと微笑み玄関まで来ると、靴を先に履いてあたしの靴を履きやすい位置に置いてくれた。
「ありがと・・・」
少し照れつつお礼を言って靴を履くなり、また乱馬は手を繋いで外へ出た。

え、え、もしかして、このまま学校へ行くの・・・?

そう思いながらも、乱馬から優しく握られた手を、離せない。
毎日通っている見慣れた景色と、慣れない不自然な状況があいまって、心臓がバクバク鳴っているのを聞きながら黙って歩くしかなかった。

「今朝も可愛いね」
ふいに言われた一言で、思わず立ち止まる。
「え・・・」
「僕の大好きなあかねちゃん。放課後、デートしてくれますか?」

真っ直ぐな目でにこやかにそう言った乱馬は、朝日を浴びて恐ろしく爽やかだった。

一瞬、自分の中の時が止まる。
脳が自分の都合の良い方に持っていこうとして、ハッと我に返った。

だから、この乱馬は乱馬じゃないんだってば!
大体、さらりと『大好き』なんて言わないでよ!

戸惑っていつまでも返事をしないあたしに、乱馬は
「じゃ、放課後を楽しみにしてるから」
と笑顔で言うとまた歩き出した。


放課後。
乱馬はやっぱり手を繋いで、嬉しそうに街中を歩く。
クラスメイトに冷やかされても「僕のものだからね」とあっさりとしていた。
今シャンプーたちが来たら、なんて言うつもりだろう・・・。

きっぱり断る乱馬を想像して、次に他の子にもデレデレする乱馬を想像して。
そういえば前にも女の子なら誰でもよくなる絆創膏を貼ってたことあったな・・・あんな感じなのかなあ・・・。でも、少なくともクラスの女の子たちに対してはそんな風に見えなかったし・・・。

一人考えを巡らせていると、急にあたしたちを取り囲むように数人の男たちが近付いてきた。
「そこのカワイコちゃん。そんな奴放っといて俺たちと遊ぼうよ」
「は?」
ニヤニヤしながら言う男たちに、ハア・・・と溜息をつきながらちらりと乱馬を見ると、乱馬は顔面蒼白だった。

いつも、こういう時はものすごく不機嫌になって、逆にからんできた方を痛い目に合わせてしまったりするので、そっちを心配して顔色を窺ったのに・・・まるで蛇に睨まれたカエルのように怯えている。

「なあ兄ちゃん。ちょっとこの子借りるぜ?」
「ど、どうぞ」
「!? 乱馬!?」
信じられない一言に、耳を疑った。

「ほら、彼氏がいいってよ。行こうぜ!」
なれなれしく肩に置かれた手を払いながら、あたしは間近の男より少し離れてしまった乱馬を見つめる。
乱馬は、少しずつ後ずさりしていて、あたしとの距離が確実に遠くなっていく。
「あ、あかねちゃんは強いから。ほら、一人でもなんとかなるだろ? じゃ、じゃあ、僕はこの辺で・・・」

乱馬は、くるっとあたしに背を向けると、一目散に走り出した。

え・・・・・・!?
この状況は、なんなの!!?

あたしは、自分の置かれた立場をすぐには理解出来なかった。
ものすごい怒りだけがふつふつと沸いてくる。

態度だけ優しくて甘い言葉をたくさん囁いてくれても、肝心なときにこれじゃ・・・!!
乱馬は・・・いつもの乱馬は、ぶっきらぼうで優しくないけど、危ないときに必ず助けてくれる人だもの! こういう時に、自分だけ逃げるような人間じゃないのよ!

あたしが・・・あたしが好きな人は、そんな情けない男じゃない!!

「待ちなさい、乱馬―!!」
あたしは乱馬の背中に思い切り叫んで、走り出した。
男たちが何か言って掴みかかってきたけど、それどころじゃない。
軽くなぎ倒して、もうすぐ見えなくなりそうな彼を追い掛ける。
一言言ってやらないと、どうにも気が済まない!!

そう思って全力で走るも、なかなか追い付けない。
あいつ、本気で逃げてる・・・!
ますます腹が立って、必死で追い続けた。

家の間近まで帰ってきて、ようやく乱馬を捕まえたあたしは
「ちょっと! どういうつもり!?」
と問い掛けたけど、この男はあの場所から大分離れて安心したのか
「ほ、ほら、上手く撒けただろ? そういう作戦だったんだよ。やだなあ、あかねちゃん。僕が君を置いて逃げたりするわけないじゃないか・・・」
饒舌に言い訳を並べ立てた。尚も何か言おうとする口先だけの態度にあんまり腹が立ったので、
「なによ、こんなものっ! はあっ!!」
あたしは思わず眼鏡を奪い取って叩き割った。

これがなければ・・・元の乱馬に戻れば・・・。
もうこんな情けない姿、二度と見たくない!

眼鏡を割られた乱馬は、しばらく呆然としていた。
そして、ハッと我に返ったように
「あ・・・俺・・・?」
と呟いたので
「乱馬・・・・・・」
あたしは、いつもの声のトーンに安心して、思わず抱きついてしまった。
「え? あ、あかね?」
途端に全身が硬直した乱馬に愛しさを感じながら、あたしはしばらくの間そうしていた。


後日。
乱馬は結局、あの一連の出来事を覚えていないみたい。
「さー。よく覚えてねー」
って言ってたし、クラスメイトにあの日のことを追及されると
「し、知らねー! 誰がこんな可愛くねー女と!!」
って思いっきり否定してたし・・・。

ま、でも、いいかな。
自分自身、一つわかったことがあるし・・・。

そういえば、あの後、眼鏡について勘違いしていたことが分かった。
最初に見た説明書、実は紙が二重になっていたのだ。
「ん・・・?」
疑問を持ったあたしが“かけると眼鏡キャラになれます”の紙を剥ぐと、そこには“なんてのはウソで、かけるとその人の性格が真逆になります”と書かれていた。

ああ、なるほど・・・。正反対の性格ね・・・。
あたしは眼鏡をかけている間の乱馬の行動にものすごーく納得がいった。

ってかこんな“眼鏡キャラになる”なんてひっかけいらなくない!?
紛らわしいだけじゃないの!!
もうあの眼鏡は無くなったのに、更なる怒りが沸くあたしだった。

「おーい、あかねー。何してんだ?」
いつもの道をいつものように登校するあたしたち。
乱馬に声を掛けられて、
「なっ、何でもない!」
あたしは慌てて、乱馬の元へ走った。

“一つわかったこと”それは。
やっぱり、普段の乱馬が一番、ってこと。


2008.02.23
コミヤリエさまのサイト「ULTRAMARINE(閉鎖済)」にサイト6周年兼7周年のお祝いとして(待て)お贈りしたものです。
リクエストは、ちょうど二人の間にメガネの話題が出た時で、ずばり『メガネ』。

普段メガネ萌えの猫乃としては意気揚々と書く・・・はずが、いざ乱あで書こうとすると全く書けず・・・。
原作っぽいのを好きな彼女のためにそこを意識して書き始めたら、楽しかったです。
奥手で不器用→積極的で明け透け、武道の達人→喧嘩逃げ腰、危険なとき悪態をつきながらも助ける→危険なとき調子のいいことを言いながら逃げる・・・という風に変換。
しかし“性格”が正反対なだけで“気持ち”はそのままなんだから、あかねちゃんに対する“好き”の気持ちはどちらも本物なのに、鈍感なあかねちゃんはその部分には気付かない。
あかねちゃんはあっさり納得してましたが、果たして奴は本当に覚えていないのか?
さらに、最後の『普段の乱馬が一番』って本当にそうかーっっ?(笑)